【大学受験・日本史】広田弘毅内閣についてのまとめ

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広田弘毅内閣についてのまとめです。国家建設スローガンを打ち出すなど、リーダーシップをとった総理です。それでは、【大学受験・日本史】広田弘毅内閣についてのまとめをみていきます。

広田弘毅

  • 岡田啓介内閣のあとをうけて組閣し、「広義国防国家の建設」をスローガンとして、軍と協調する姿勢をしめし国防方針として国策の基準を決定した。
  • 対外的には、華北分離政策をとり華北5省に侵略をすすめると同時に、1936年には日独防共協定を調印した。
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岡田啓介

  • 美濃部達吉の憲法理論である天皇機関説に対して、反国体的であるとして、非難が高まり(天皇機関説問題)、内閣も国体明徴声明を出して美濃部の学説を反国体的とした。
  • 1936年、陸軍の急進派である皇道派の青年将校たちによるクーデター事件の二・二六事件が起き、内閣は辞職に追い込まれた。

広義国防

満州事変後、陸軍が提唱した政策論。国防の観点から国民生活の安定、農山漁村の更生、国民教化の振興などの問題をも提起した立場。

日独防共協定

1936年 11月 25日ベルリンで、日本とドイツの間に締結された有効期間5年の協定。正式には「コミンテルンに対する日独協定」と「秘密付属協定」の総称。スペイン、フランスの人民戦線の成立、中国の抗日運動の激化、ソ連を中心とするコミンテルンの強化に対応するもの。

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