【大学受験・日本史】犬養毅内閣についてのまとめ

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犬養毅内閣についてのまとめです。入試に出てくる内閣シリーズ第4弾です。その中でも、よく出題されるのが、犬養毅です。それでは、【大学受験・日本史】犬養毅内閣についてのまとめをみていきましょう。

犬養毅内閣

  • 大正時代に立憲国民党を率いて、第一次護憲運動を起こし活躍。また、革新倶楽部を率いて、第二次護憲運動でも活躍した。
  • 1931年12月、立憲政友会を与党として内閣を組織したが、満州国を承認せず軍部の反発を受け、1932年の五・一五事件によって暗殺された。
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第一次護憲運動

尾崎幸雄、犬養毅らは、「閥族打破・憲政擁護」をスローガンに第一次護憲運動を展開。第一次世界大戦直前には、シーメンス事件の発覚により、世論の批判を受けて、第一次山本権兵衛内閣が総辞職。また、軍拡予算に対して、負担の軽減を求める廃税運動も展開されていました。貿易収支の大幅な赤字も続き、国際収支は危機的な状況でありました。

この第一次護憲運動後には、1913年に桂太郎内閣が辞職する大正政変もおこりました。
確認【大学受験・日本史】大正初期の政治・第一次護憲運動

第ニ次護憲運動

清浦奎吾が内閣総理大臣だったとき、その内閣のメンバーが陸・海軍の大臣を除いた全員が貴族で構成され非立憲的だったため、1924年に衆議院が異議を唱えた運動。

その後、護憲三派(政友会、憲政会、革新倶楽部)の三党による連立内閣が成立。総理大臣は、加藤高明。1925年に、普通選挙法、治安維持法が成立します。

五・一五事件

1932年に海軍の青年将校らにより犬養毅首相が暗殺され、政党政治は終わりました。朝鮮総督経験者で唯一かの海軍出身者である斉藤実は、この五・一五事件後に内閣総理大臣に就任しました。このころ、リットン報告書にもとづく勧告が採択されると、日本は、国際連盟を脱退します。

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