【大学受験・日本史】石橋湛山内閣の政策などのまとめ

石橋湛山内閣の政策などのまとめです。新聞記者から総理大臣となり、シベリア出兵などに反対した人物として知られる石橋湛山内閣についてです。それでは、【大学受験・日本史】石橋湛山内閣の政策などのまとめをみていきましょう。

石橋湛山内閣

  • 第一次世界対戦の際、東洋経済新報の記者として青島の領有反対、シベリア出兵反対の論陣をとり、金解禁のときには、新平価による解禁を主張した。
  • 1956年、自由民主党総裁となり内閣をつくったが病気のため辞職、岸信介内閣にかわった。
  • 1959年訪中し、石橋・周恩来声明は、日中国交回復の基礎となった。
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シベリア出兵

寺内正毅内閣のとき、1918年ロシア革命に干渉するため、日・米両国を中心に英国・フランスの各国がチェコスロバキア軍捕虜救援の名目でシベリアに軍隊を送った事件。米・英・仏が撤兵したのちも日本は駐留を続けたが、国内外の非難により1922年に撤兵。
確認【大学受験・日本史】大正初期の政治・第一次護憲運動

金解禁

金輸出禁止を解除し再び金の自由かつ無制限な輸出を認め、金本位制度に復帰すること。1929年の大恐慌に加え多くの国が金輸出禁止期間の物価上昇と為替相場の下落を無視し、旧平価で金解禁を実施して国内経済に極度のデフレーションをもたらしたため失敗。

日中国交回復までの日本の外交

  • 日ソ共同宣言…1956年ソ連との国交回復する。ソ連の支持も受け、国連の加盟が実現する。
  • 日韓基本条約…韓国を朝鮮半島唯一の政府と承認する。
  • 日中共同声明…1972年中国との国交が正常化。1978年日中平和友好条約を提供して環境深めた。
  • 1972年沖縄が日本に復帰した。この過程で非核三原則が国の方針となった。日本はアジア諸国や東側諸国の関係改善を行った。

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