【大学受験・日本史】鎌倉時代

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鎌倉時代についての学習です。壇の浦の戦い(1185)で安徳天皇が入水し、平家が滅亡、それから鎌倉幕府成立へ向かっていきます。

鎌倉時代

鎌倉幕府成立までに、

  • 侍所(1180)=和田義盛
  • 公文所(1184→政所 1191)=大江広元
  • 問注所(1184)=三善康信

が置かれたのが大事。後白河法皇の死後、源頼朝は将軍になり、初代政所の別当となる大江広元の建議で、守護は一国一人、地頭は荘園・公領ごとに一人置かれるようになりました。

  • 守護…大番催促(京都大番役などを御家人に割り当て)・謀叛人・殺害人の検断
  • 地頭…荘園の管理や年貢の徴収
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封建制度

将軍と御家人とが、土地を仲立ちとして御恩と奉公の関係で結ばれている制度

北条氏の執権政治

  • 貞永式目(御成敗式目)(1232)…公平な裁判の基準を明示

8代執権北条時宗の時代

  • 文永の役(1274)…蒙古軍は、集団戦法・てつはう(火薬)・毒矢を日本を圧倒
  • 弘安の役(1281)…蒙古軍は、暴風雨で撤退

以上を元寇と言います。文永の役と弘安の役の間には、異国警固番役制度化したり、博多湾に石塁(防塁、石築地)を設置したり対応。元寇の様子は、肥後の御家人竹崎季長が、自分の活躍を描かせ、見事恩賞を勝ち取った『蒙古襲来絵巻』からわかる。

9代執権北条貞時の時代

  • 霜月騒動(1285)…8代執権北条時宗の死後、有力御家人・安達泰盛と、内管領・平頼綱の対立が激化。
  • 永仁の徳政令(1297)…窮乏する御家人の救済策でしたが、成果は上がらず、翌年撤回。
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