【大学受験・日本史】高橋是清内閣についてのまとめ

【大学受験・日本史】高橋是清内閣についてのまとめです。入試でもよく出題される人物の一人です。特に、政策については確実に覚えておく必要があります。それでは、【大学受験・日本史】高橋是清内閣についてみていきましょう。

高橋是清内閣

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原敬

立憲政友会創立に参画し、米騒動の直後に誕生した初の本格的政党内閣の総理大臣だった人物。最後は、刺殺される。

田中義一

  • 第一次岩槻礼次郎内閣のあとをうけて、1927年に組織。モラトリアム(支払猶予令)などによって金融恐慌を鎮めた。
  • 外交的には、それまでの協調外交をやめて積極外交を目指し、3次にわたって山東出兵を行った。

犬養毅

  • 大正時代に立憲国民党を率いて、第一次護憲運動を起こし活躍。また、革新倶楽部を率いて、第二次護憲運動でも活躍した。
  • 1931年12月、立憲政友会を与党として内閣を組織したが、満州国を承認せず軍部の反発を受け、1932年の五・一五事件によって暗殺された。

金解禁

金輸出禁止を解除し再び金の自由かつ無制限な輸出を認め、金本位制度に復帰すること。1929年の大恐慌に加え多くの国が金輸出禁止期間の物価上昇と為替相場の下落を無視し、旧平価で金解禁を実施して国内経済に極度のデフレーションをもたらしたため失敗。

二・二六事件

1936年2月26日、急進的な青年将校たちが兵を率い、クーデターをおこした。高橋是清蔵相、斎藤実内大臣らを殺害し、東京・永田町一帯を占拠したが、陸軍当局によって鎮圧。以後、軍部の政治的発言力が強まっていった。