【大学受験・日本史】冷戦体制と日本の国際復帰までの過程

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冷戦体制と日本の国際復帰までの過程についてまとめています。朝鮮戦争をきっかけとした冷戦の始まり、サンフランシス平和条約から国際復帰へ1歩を踏み出した日本。それから本格復帰までの流れをみていきます。それでは、冷戦体制と日本の国際復帰までの過程をみていきましょう。

冷戦体制と日本の国際復帰

首相の吉田茂により、サンフランシスコ平和条約が調印された。1951年サンフランシスコ講和会議には中華人民共和国など重要な関係国は招聘されずインドやビルマも参加しなかった。日本はサンフランシスコ平和条約締結後にそれをもとにフィリピンやインドネシアがとも賠償協定を結んだ。

サンフランシスコ平和条約は単独講和であり、日本の国際連合加盟は独立回復後の1956年のことであった。1952年のメーデーでは単独講和反対のスローガンを掲げたものもあった。サンフランシスコ講和条約によって、沖縄がアメリカの統治下に置かれた。サンフランシスコ講和条約と同じ日に日米安全保障条約が調印された。

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朝鮮戦争と特需

日本からの解放後、朝鮮半島南部には大韓民国が建国され、日本が独立を回復した当時、中国軍の支援を受けた朝鮮民主主義人民共和国とアメリカを中心とする国際連合軍の支援を受けた大韓民国との間での朝鮮戦争はなお続いていた。朝鮮戦争が勃発すると日本は特需景気を迎えた。朝鮮戦争では中国は義勇軍送って、朝鮮民主主義人民共和国を援助した。

MSA協定と自衛隊

戦後日本が独立を回復すると日米相互防衛援助協定(MSA協定)に基づくアメリカの軍事援助によって、日本の防衛力が強化された。朝鮮戦争の当事、在日米軍の出撃後、GHQの指令により警察予備隊が設置された。

レッド・パージとはGHQによる日本共産党幹部の公職追放令のもとに行われた共産主義者の追放のことである。1952年に政府が警察予備隊を保安隊に改組するとともに破壊活動防止法を制定して治安体制を強めた。

1954年に日米で結ばれたMSA協定によるよ保安隊と海上警備隊は統合され、陸海空の自衛隊が発足した。

日ソ共同宣言と沖縄返還

  • 1956年の日ソ共同宣言によって日本とソ連との国交を正常化された。
  • 1964年にOECDに日本は加盟した
  • 1972年に沖縄の日本への返還は琉球諸島及び大東諸島に関する日米協定に基づいて行われた

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