大学入試小論文「自由について」ネタ帳公開!

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大学入試小論文での頻出テーマとして「自由について」があります。「自由とは何か?」と直接問いかけることは稀ですが、あらゆるテーマの中に潜在的に隠れており、自分なりの定義を持っておかないと、回答に窮することになります。

自由とは

自由は大切だ。当たり前のように言われていますが、「自由」はなぜ大切なのでしょうか。巷には、自由を謳い文句に「ジコチュー」に行動する者さえいます。自己中心的な行動をする人が大勢いる社会を肯定する人はほとんどいないことでしょう。もちろんなくてはならないものであると認識しているのですが、あまり自由がありすぎるのもよくないと考えてもいいはずです。

しかし、憲法にも明記してあるように、自由は今日の社会の基本原則の一つです。自由がない社会には人権もありませんし、明るい未来も見出せません。このように考えるのも社会の大半の人が認める意見でもあります。

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個人の尊厳の核心部分

ではなぜ自由は大切なのでしょう。その答えは単純で、自由こそが個人の尊厳の核心部分を支えているからなのです。誰からも束縛されず、自分の考えに基づいて、自分で責任を負い、自分で行動する。その環境で人は自分らしさを発揮することができるのです。

自分らしさとは、人間生活のあらゆる場面で発揮することができます。ファッションや職業、趣味や学問など自由に選択することができますし、自由につくりあげることも可能です。最も悲惨な例だと、強制的に仕事に従事させる奴隷制度などを考えると、自分らしさを発揮することは絶対に不可能だったはずです。だからこそ、私たちは個人の尊厳を守るために、自由を何よりも大切にしなければならないのです。

公共の福祉

とはいえ、いくら自由が大切であると言っても、それが自己中心的な言動になっては困ります。人が二人以上存在する社会では、どうしても各個人の自由がぶつかってしまいます。自分に自由があるように、相手にも自由があるのです。

例えば、万引きをしてはいけないのは当たり前ですが、これは刑法の犯罪に該当するからというよりも、相手の「商品をただではあげない」という自由を侵害するものだからです。自由は相手の自由を侵害しない範囲で認められるものであり、自分の好き勝手「自己中心的」とはまったく別なものになるのです。

このように個人の自由を、相手の自由を侵害しない範囲にとどめる考えを「公共の福祉」といいます。「公共の」という言葉から、社会全体の利益を優先する考えかたと思いがちですが、たとえ一人の自由が侵害される場合でも、それが守るに値するものであれば、公共の福祉に含めることができるのです。

実際に日本国憲法にも「公共の福祉」という言葉は4回登場します。圧倒的な権力を持つ国家によって、個人の自由が侵害されるのをあらかじめ防いでいるのです。

積極的自由・消極的自由

自由の大切さを説明したところですが、自分の欲求をすべて満たせるような自由はこの世に存在するのでしょうか。誰からにも干渉されず、好きなことを好きなだけできる。そのような自由は現実にはほとんどの人が手にできないものです。自由の定義を「誰からにも干渉されず、好きなことを好きなだけできる」と捉えてしまうと、誰も手にすることができない自由になってしまします。

このように、「誰からも干渉されず、好きなことを好きなだけやれる」という、世界でもほんの一握りの人々が得られる自由を「消極的自由」といいます。日々、勤勉に生活している一般市民にそのような自由は保障されるはずもありません。毎日生きるために精一杯の状態で、少しの趣味に貯めたお金を使い、一日の大半を労働のために費やし、翌日もひたすら働けなばならない人々にとって、自由は全く自分のものになりません。

では、自由と問われた場合、どのような自由が大切なのでしょうか。それは、誰もが自由を手に入れるために、国家がむしろ積極的に干渉していく社会でなければならないと考えられています。これを消極的自由に対し「積極的自由」といいます。

例えば、義務教育を考えると、「義務」という言葉から、自由とはまったく別なのもに聞こえます。しかし教育を受けることによって、人々は技術や知恵を身に付けることができ、大きく成長したときに本当の自由を実現できるかもしれません。国民の誰もがそれを手に入れられるように、国家が積極的に親に教育を受けさせる義務を課しているのです。

自己責任

ここまで自由について述べてきましたが、自由があるということは、それに対応する責任もまた同然に課されるということです。自分の考えに基づいて行動したことで問題が生じた場合、「そんなことは知りません」では済まされません。自由には当然自己責任が付帯するものです。

しかし、自由には自己責任が伴うといっても、それをあまりにも強調しすぎるのも良くありません。人は責任を恐れ自分の自由を放棄してしまう危険性もあるからです。例えば、交通交通法で、少しでも過失がある事故を起こしてしまった場合、極刑に処されるという法律があったとするならば、おそらく事故を恐れて、誰も自動車を運転しなくなることでしょう。責任も大切ですが、何よりも自由が大切なのであって、責任によって自由が制限されてしまうのは本末転倒だと言えるのです。

そこで、ある条件を満たせば責任を免除するような社会の仕組みがあってもいいのではないでしょうか。人は失敗するものです。その失敗を補填する制度があるのならば、責任を負いつつも自由を追求できる社会になるのではないでしょうか。

まとめ

「自由」とは非常に漠然としたテーマで、自由の定義も人それぞれで異なります。生まれ育った環境や、影響を受けた人たちによって大きく異なります。しかし、一般的に言われている意見を知っておくことも大切です。自由と責任は、現代社会でも非常に大切なテーマです。是非皆さんも一度真剣に考えてみてはいかがでしょうか。

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