【大学受験・日本史】東条英機内閣の政策などのまとめ

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東条英機内閣の政策などのまとめです。第2次大戦中の内閣総理大臣であったということで、何かと登場する人物です。具体的な政策の内容まで覚えておく必要があります。それでは、【大学受験・日本史】東条英機内閣の政策などのまとめをみていきましょう。

東条英機内閣

  • 1941年12月8日、ハワイの真珠湾攻撃をおこない太平洋戦争(大東亜戦争)が勃発、翌年2月シンガポールを占領するが、6月のミッドウェー海戦に大敗、これ以後、日本軍へのアメリカ軍の反攻が始まる。
  • 1943年2月ガタルカナル島撤退、4月には連合艦隊司令長官の山本五十六が戦死、5月にアッツ島(熱田島)の日本守備隊が玉砕、6月のマリアナ沖海戦で空母の大半を失い、7月にサイパン島が玉砕したために内閣は総辞職した。
  • 戦後、「太平洋戦争開始」の責任者として、東京裁判で裁かれ、絞首刑になる。
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太平洋戦争

日本軍の中国からの撤退などをめぐりアメリカとの交渉が暗礁にのりあげ、近衛文麿内閣は総辞職し、東条英機が首相へ。日本は、真珠湾攻撃とほぼ同時にマレー半島に上陸し、約半年ほどで東南アジア・西太平洋の広大な地域を占領した。太平洋戦時中には、学徒動員をとり、子どもも軍需工場で働かされました。植民地では、台湾人、朝鮮人に対して徴兵制、また皇民化教育も行われ日本語教育が徹底されました。

1942年のミッドウェー海戦の大敗で、日本の戦局は不利に。B29爆撃機による東京への空襲でより形勢は不利に。とどめにとして、広島、長崎に原爆が落とされ、無差別に大量の殺戮をもたらされる。
確認【大学受験・日本史】太平洋戦争(第2次世界大戦)とその時代の文化

マリアナ沖海戦

マリアナ沖海戦は、1944/6/19~6/20にかけ日本海軍とアメリカ海軍がパラオ諸島沖およびマリアナ諸島沖において行った海戦。史上最大にして最後の機動部隊決戦として知られています。

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