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高校日本史「飛鳥時代の定期テスト対策問題」

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飛鳥時代・飛鳥文化の定期テスト対策問題

(1)6世紀になると、高句麗や新羅が強大化し、倭が影響力を持っていた( ① )諸国に新羅が進出した。朝鮮半島南部の権益を確保するために軍隊を送ろうとしたが、( ② )と結んだ筑紫国造( ③ )が反乱した。

(2)欽明天皇のもとで崇仏派の大臣の( ① )と廃仏派の大連の( ② )がが権力争いをしながらも、ヤマト政権は支配体制を強化した。

(3)( ① )は推古天皇のもと、崇峻天皇を暗殺させた( ② )とともに大和朝廷の改革を行った。豪族個人を官僚として登用する( ③ )の制、官僚としての心構えを説く( ④ )などを制定した。

(4)607年には( ① )を隋に派遣して、隋と対等の国交を求めた。608年には後の改革に影響を及ぼした高向玄理や僧旻、( ② )などが随行した。

(5)607年倭王からの使いがあり、その国書に「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」とあるのを、隋の皇帝( ① )は悦ばなかったが、翌年、答礼使として( ② )を倭国へ派遣した。

(6)この時期には渡来人や遣隋使などで多くの文化が日本に伝わった。( ① )の僧観勒が暦を、( ② )の僧曇徴が紙や墨の製法を伝えた。

飛鳥時代・飛鳥文化の定期テスト対策問題解答

(1)6世紀になると、高句麗や新羅が強大化し、倭が影響力を持っていた(①加耶(加羅、任那))諸国に新羅が進出した。朝鮮半島南部の権益を確保するために軍隊を送ろうとしたが、(②新羅)と結んだ筑紫国造(③磐井)が反乱した。

(2)欽明天皇のもとで崇仏派の大臣の(①蘇我稲目)と廃仏派の大連の(②物部尾輿)が権力争いをしながらも、ヤマト政権は支配体制を強化した。

(3)(①厩戸王(聖徳太子))は推古天皇のもと、崇峻天皇を暗殺させた(②蘇我馬子)とともに大和朝廷の改革を行った。豪族個人を官僚として登用する(③冠位十二階)の制、官僚としての心構えを説く(④憲法十七条)などを制定した。

(4)607年には(①小野妹子)を隋に派遣して、隋と対等の国交を求めた。608年には後の改革に影響を及ぼした高向玄理や僧旻、(②南渕請安)などが随行した。

(5)607年倭王からの使いがあり、その国書に「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」とあるのを、隋の皇帝(①煬帝)は悦ばなかったが、翌年、答礼使として(②裴世清)を倭国へ派遣した。

(6)この時期には渡来人や遣隋使などで多くの文化が日本に伝わった。(①百済)の僧観勒が暦を、(②高句麗)の僧曇徴が紙や墨の製法を伝えた。

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