満州事変

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満州事変

1930年代にはいって、第二次岩槻礼次郎内閣のときには、協調外交がゆきづまり、中国の反日民族運動が激しくなって、満州における日本の権益がまもれない のではないかとの危機感が高まると、陸軍のあいだには、軍事力を用いてでもこれを打ち破ろうとする気運が高まった。

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柳条湖事件(満州事変のきっかけ)

1931(昭和6)年9月18日、武力による満州の制圧をくわだてた日本の関東軍は、奉天近郊の南満州鉄道の線路をみずから爆破し(柳条湖事件)、 戦争のきっかけをつくって奉天付近の 中国軍への攻撃を開始した。こうして満州事変がはじまった。

日満議定書を締結(満州事変中)

1932 (昭和7)年3月、清朝最後の皇帝だった薄儀を執政(のちに皇帝)にむかえて、満州国の建国が宣言された。しかし、軍事・外交はもとより、内政の実権も関東軍や日本人官吏がにぎっており、満州国は日本が事実上支配するものとなった。日本のこうした行動は、不戦条約および九カ国条約に違反するものとして国際的な非難をあびた。1932年、満州事変中の斉藤実内閣のときに日満議定書を締結。

人民戦線事件(満州事変後)

満州事変後、コミンテルンの反ファシズム統一戦線の呼びかけに呼応して反人民戦線を企てたとして山川均ら左翼知識人が逮捕、弾圧されました(人民戦線事件)。

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