【高校倫理】カントの観念論

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【高校倫理】カントの観念論についてまとめています。

カント

カント(1724 ~ 1804)は、「科学的認識」を基礎付けるために、人間の認識能力を中心とする「理性能力」そのものを吟味(批判)しようというものであった。カントは、ケーニヒスベルク(現ロシア領カリーニングラード)を生涯離れることなく規則的な独身生活を80年間おくった。カントの主著名から「批判主義」といわれるが、経験から純粋な理性能力(認識機能)を吟味(批判)した書が「純粋理性批判」である。

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カントの観念論

カントの認識論(科学的認識論)を概略すれば、「物自体」は想定できるが、認識はできない。つまり、客観は、主観(私、認識主体)にとっては超越的(私にアプリオリに備わる先天的形式を超えている。入ってこない)なので、認識できない。したがって、科学的認識は、感性(感覚能力)と悟性(思考能力)に先天的(アプリオリ)形式として備わる「時間と空間(いつ・どこで)」と「カテゴリー (神・魂・自由などの概念)」を通過したもの(「現像」)だけを知ることができる。よって、形而上学(神・魂・自由などが認識対象)は、科学的認識から除外される。

コペルニクス的転回

コペルニクス的転回とは、考え方が正反対に転換するたとえで、カントは自分の認識論をそう表現した。従来の主観が客観(対象)に基づくと考える認識論を主観の先天的形式に基づいて客観(対象)が成立すると、正反対に転回する認識論である。

超越論的

超越論的とは、超越(物自体)に関する認識の意味で 自己の認識の限界を自覚することであり、同時に限界の自覚は限界を超えることにつながる。また 哲学史的には「イギリス経験論」と「大陸合理論」の科学論を融合したことにもなる。すなわち、「観察」「仮説」には「帰納法」を使用し、「仮説」→「実験」には「演標法」を活用するという「実験的方法」という、今日につながる科学的認識方法を確立した。

道徳法則

人は日々生きる中で,「~したい」と欲求したり、「~してはならない, …すべきである」という義務の声を聞く。このように, 欲望と義務の「内なる声」を誰でも聞く。カントは、人が「欲望」と「義務」の間で迷うことのないように義務の声を純粋な形(「道徳法則」)で明確にしようとした。

  • 道徳法則…理性的な存在としての人間が道徳的行為をなそうとするとき、従わなければならない法則を道徳法則(道徳律)という。カントは、道徳法則は普遍妥当的(いつどこでも、誰にでもあてはまるもの)でなければならないとした。

定言命法

道徳法則に従う行為は、何か他の目的のための手段や方法であってはならない。道徳法則は普遍妥当的でなければならないので、常に(無条件で) 「~せよ」という命令の形式で表される(定言命法)。 「目的のための手段としての行為を命じる形式は「もし~を欲するなら~せよ」 という条件付きの形となり(仮言命法)、普遍妥当的な法則ではなくなる。

  • 定言命法 …(例)常に(無条件で)困っている人を助けなさい。→普遍妥当的
  • 仮言命法 …(例)世間のあなたへの評価を高めたければ、困っている人を助けなさい。→評価を高めなくてよければ助けなくてよい→普遍妥当的でない
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