古墳文化
縄文文化、弥生文化の次は古墳文化です。この時期に朝鮮半島からやってきた渡来人たちによって、高度な大陸の文化が次々と日本に伝えられます。また、仏教という宗教も日本に入ってきます。
❷仏教・儒教の伝来と神道
渡来人から漢字が伝わる
当時の日本は、大陸側の中国や朝鮮半島から文化の面でかなり遅れていました。このころから先進技術を伝える渡来人が日本へやってきます。特に漢字が日本に伝わったことは、歴史学的にみても大きな変化です。
稲荷山古墳鉄剣銘や江田船山古墳鉄刀銘、和歌山県の隅田八幡神社人物画像鏡銘などのように、漢字の音を借りて日本人の名前や地名を表記し始めます。漢字を伝えた渡来人はしっかりと覚えておきましょう。すべて応神天皇期に渡来しています。
- 西文氏(かわちのふみうじ)…王仁(わに)の子孫
- 東漢氏(やまとのあやうじ)…阿知使主(あちのおみ)の子孫
- 秦氏(はたうじ)…弓月君(ゆづきのきみ)の子孫
東漢氏の祖である阿知使主は、文筆に秀でており、文書や記録の作成などを行った史部(ふひとべ)の管理を任されました。西文氏の祖である王仁は、論語10巻と書道の手本となる千字文(せんじもん)を伝えています。秦氏の祖である弓月君は、養蚕(ようさん)と機織(はたおり)の技術を伝えました。
土師器と須恵器
古墳時代の土器ですが、弥生土器から進化した土師器と、5世以降に朝鮮半島から伝わった須恵器があります。
土師器 | 須恵器 | |
色 | 赤茶色 | 青灰色 |
焼き方 | 600℃程度の野焼き | 登り窯で1000℃以上 |
使い方 | 煮炊き | 貯蔵 |
古墳時代の住居と生活
古墳時代の住居ですが、一般民衆と豪族では住居が異なります。
- 豪族…集落から離れた場所に環濠や柵をめぐらした居館(きょかん)に住んだ。
- 民衆…環濠を伴わない集落で竪穴住居や平地住居に住んだ。
縄文時代や弥生時代の民衆の住居も竪穴住居でしたが、弥生時代までは竪穴住居の中央には炉(ろ)がありましたが、古墳時代からは中央に竃(かまど)が置かれるようになります。倉庫として高床倉庫も現役です。
衣類は、形象埴輪である人物埴輪が史料になります。男性と女性の衣類は次の通りです。
- 男性…衣に袴(はかま)
- 女性…衣に裳(も)
農耕儀礼と占い・裁判
弥生時代から始まった水稲耕作に伴って起こったものとして農耕儀礼が始まります。
- 祈年(としごい)の祭(祈年祭)…春にその年の豊作を願って行う
- 新嘗(にいなめ)の祭(新嘗祭)…秋に収穫に感謝する
また、死や血、糞尿などを「穢れ(けがれ)」だとし、これを除去するために水で穢れを洗い流す「禊(みそぎ)」や、布などでふき取る「祓(はらえ)」なども始まったとされています。
占いや裁判では、神の意志を確認しようとすることも始まっています。
- 盟神探湯(くかたち)…熱湯に手を入れて火傷の具合から真偽を判断
- 太占(ふとまに)の法…鹿の骨を焼いて吉凶を占う
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