大学入試小論文「キャラを演じることの考察・解答例」です。
キャラを演じることの考察・解答例
【問題】キャラを演じることについて、あなたの考えを六〇〇字以内で述べなさい。
キャラを演じるのに疲れながらも、キャラから抜け出すことができない人々の心理には、常に人間関係が絡んでいる。キャラがあれば、相手によって対応を変えるという面倒が無くなる、つまり人付き合いが楽になるのだ。また、キャラに徹することで本音の発言を控え、周囲に溶け込み、自分の居場所を得ることが可能になる。人付き合いの簡略化と社会における自身の居場所確保のために、人々はキャラから抜け出すことができないのだ。
筆者は、キャラを演じることの利点と欠点を示した上で、否定的立場をとっている。
私は、キャラを演じる行為が人々の自由を奪取していると考える。キャラを理由に、本来の自分を抑制しなければならない場面があるからである。
クラスの中では大体の個々人のキャラが成立しているが、中には他者からキャラを押しつけられている者もいるだろう。例えば、リーダーキャラの生徒は、拒否をした場合でも、クラスの皆が忌避する委員長や部長といった責任の重い役職を担わされる。キャラの確立によって自由な選択をする権利を失う者がいることは、基本的人権の観点からも到底認められたものではない。キャラを理由にその他大勢が特定の人間ばかりに仕事を押しつけることは、一種のいじめであり、最大多数の最大幸福であるとして公平性にも欠如するのである。
また、筆者が述べるよう、キャラがあることによって本音の発言を控えねばならない者が出てくる。これは、しばしば価値観の強制を生むため、キャラの確立は発言や表現の自由に反する可能性もあるといえよう。
キャラを演じることで、自分の居場所を確保すること同時に、選択や発言の自由は侵されるのである。多様で自由な生き方が容認される今日、キャラという概念を伴わずに人間関係を構築できる社会を作る必要があるだろう。
キャラを演じることの講評(一部抜粋)
内容ですが、一文一文はしっかり記述できていますが、全体を見ると、自身のの主張だけが展開されている印象です。
「また、筆者が述べるよう、~」の段落を「キャラという概念を伴わずに人間関係を構築できる社会を作る社会をどうすれば作るのかという具体策」が記述できると主張だけを展開しているイメージを払拭できたでしょう。
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