【高校倫理】聖徳太子の思想

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【高校倫理16】聖徳太子の思想です。

  • レベル:基礎
  • 対応:定期テスト・実力テスト・入試
  • 重要度:よく出る

聖徳太子

聖徳太子の自筆と伝えられる「法華経義疏」が、日本最古の書物として残っている。聖徳太子(鉄明天皇の孫、用明天皇の長男、曾祖父1人は蘇我稲目)は、593年、日本初の女性の推古天皇が即位すると, 日本初の摂政(皇太子でもある)となった。

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日本の国際関係

日本は、隋と朝鮮半島の三国(高句麗・新羅・百済)との関係があった。

593年 聖徳太子の仏教の師として高句麗の僧慧慈が来朝し、598年には隋の第一次高句麗遠征をした。20歳の聖徳太子の政治補佐は蘇我馬子であったが、603年、30歳になった太子は小墾田宮造営、冠位十二階制定に続いて、604年には十七条憲法を発布している。607年の遣隋使派遣。

冠位十二階

冠の色などで地位を区別します。家柄にとらわれず、才能や功績のある人物を役人に取り立てた。

冠位十二階の精神

冠位十二階は「徳・仁(にん)・礼(らい)・信・義・智」と中国の儒教の影響がみられるが、そのままではない。仁の上に「徳」をおき、「信(信頼)」を「義(義理)」より重視しているのである。

十七条憲法

仏教や儒学の教えを取り入れ役人の心構えを説いた憲法

十七条憲法の精神

「冠位十二階」の最上位の「徳と仁」を合わせたのが、「和の精神」というものである。日本独自の思想と政治理念が表現されている。

  • 第一条…不和の原因である集団エゴイズムを克服することが、「事理一体=和」という理想の政治であると述べられる。聖徳太子は、日本を仏教精神に満ちた文化国家にしたい、せめて中国(隋)のような律令国家に したいという政治理念を持っていた。
  • 第十七条…「必ず衆とともに論(あげつら)うべし(大事なことは相談して決定せよ)」といい、「衆と相弁 (あいわきま)うるときは,辞(こと)すなわち理を得ん(衆との話し合いで必ず,皆が納得する理が得られる)」 と説く。

まず「理(真理)」があり、それに「辞(言葉)」が重なり、「事(政治)」がなされていく。また、儒教の伝統(仁義礼智信)ではなく、「信(信頼)」を上位とするところにも「和の精神」がみられる。ただし、話し合いによって生まれた「信(信頼)」である。この信頼関係を築けば、「何事か成らざらん(どんなことも可能だ)」としている。

聖徳太子の思想

中央集権(天皇中心)の文化(律令)国家を建国するには、仏教に基づく和の精神による政治が必要

あわせて確認

以上が、【高校倫理】聖徳太子の思想となります。

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