【高校倫理】最澄の教えとは?

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最澄

19歳の最澄(現在の滋賀県大津市生まれ)は、東大寺で具足戒(僧侶が守る戒律)を受けたが、わずか3カ月後には比叡山(霊山として信仰)に入り、一乗止観院(のちの延暦寺根本中堂)という草庵で悲願 (願文)を決意し、12年間修業(止観・深い瞑想)をした。

偶然の幸運(和気広世…和気清麻呂の長男)から平安京遷都(794)する桓武天皇の龍僧となり、804年中国の天台宗を直接学ぶために遣唐使の一員として入唐する。 異例の通訳付き短期「還学僧」として天台山で8カ月学び、天台秘蔵の典籍230部460巻を持ち帰る。

最澄の教え
真の教えはただ一つのみとする一乗思想。悟れるものとできないものを区別する奈良仏教に不満な最澄の「仏性論」は、南都六宗を代表する法相宗の徳ー(福島県会津の僧)との三一権実論争で明確となる。

最澄は理想主義で、「一切衆生悉有仏性」の人間平等主義を説く。一方の徳一は、現実主義で人間性の違いを説いた。結局、最澄の仏性論は、どんな人でも何度も生まれ変わり、いつかは悟ることができるというものであった。さらに、人間ばかりか山や川までもが悟ることができるとい「山川草木悉有仏性」という日本仏教の伝統ともいうべき「天台本覚論」が生まれた。

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