【日本史】佐藤栄作内閣の政策のポイントまとめ

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佐藤栄作内閣の政策のまとめです。ノーベル平和賞を受賞した総理大臣であり、沖縄本土復帰を実現させた総理でもありました。それでは、【大学受験・日本史】佐藤栄作内閣の政策のまとめをみていきましょう。

佐藤栄作内閣のポイント

佐藤

  • 1956年、日韓基本条約を締結
  • 1968年、小笠原返還協定に調印し、同年に返還を実現させた。
  • 戦後、首相として初めて沖縄を訪問し、1969年に佐藤・ニクソン会談によって沖縄本土復帰を決定、1971年に返還協定を経て1972年に返還を実現させた。
  • <年表>

    1964年…内閣総理大臣となる。
    1965年…(日韓基本)条約に調印し、(韓国)との国交を回復した。
    1968年…(小笠原)返還協定に調印し、返還を実現
    1972年…アメリカから日本への(沖縄)返還を実現させた。
    1974年…(非核三原則)を確立して、ノーベル平和賞を受賞した。

    <非核三原則>
    つくらず、もたず、もちこませず。日本政府、憲法上、防衛用核兵器の保持は可能という立場をとっている。現状では非核三原則を優先させ、保有していない。第二次世界大戦末期、日本の広島・長崎に世界で初めて原子爆弾が投下された。日本は唯一の被爆国であり、非核三原則をかかげている。
    確認【現代社会】防衛政策の諸原則の要点

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日韓基本条約

1965年6月に、日本(佐藤栄作政権)と韓国(朴正煕政権)との間で調印された条約。これにより日本は韓国を朝鮮半島の唯一の合法政府と認め、韓国との間に国交を樹立した。

小笠原返還協定

小笠原諸島をめぐる戦後処理問題の一つ。1967年11月の佐藤首相とジョンソン米大統領の合意に基づき、1968年4月5日、小笠原諸島返還協定が調印され、6月返還が実現した。

佐藤・ニクソン会談

佐藤ニクソン会談についてニクソン大統領は、米国側は沖縄返還を認めたにもかかわらず、日本側は約束を反故にして繊維で譲歩しなかったと認識します。ニクソンは日本に裏切られたと感じ、後の二度にわたるニクソンショックで日米関係は最悪になったというのが通説

その報復が2度のニクソンショックとしてやって来る。

  • 1971年7月、事前通知無しで米中国交回復を発表
  • 1971年8月、金とドルとの交換停止、関税の一律10%追徴とドル切り下げ

戦後の内閣

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