摂関政治のポイント(日本史)

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摂関政治のポイントです。摂関政治とは、平安時代中期以降、天皇の幼少期には摂政が、成人後には関白が置かれた政治で、藤原兼家・道長の時代に全盛を迎えた政治体系です。11世紀後半に院政が始まって以降は形式化。入試で、摂関政治の形成までと摂関政治の全席期の違いが狙われます。
摂関政治のポイント

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摂関政治成立まで

醍醐天皇のあと、藤原時平の弟にあたる藤原忠平が、太政大臣として摂政や関白に任じられたが、村上天皇は忠平の死後摂関をおかず、政治をあらためようとした。しかしそれも一代かぎりで、その後は藤原北家のなかでも藤原忠平の子孫だけが摂関に任じられ、969(安和2)年、安和の変によって左大臣源高明が地位を追われると、摂関はつねにおかれるようになった。

  • 醍醐天皇…村上天皇ともに、後に延喜・天暦の治とよばれる天皇親政を行う。
  • 安和の変(969)…藤原北家による他氏排斥が完了し、摂関常置の契機。
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摂関政治の全盛

この摂関の地位をめぐって、藤原忠平の子孫同士の争いがつづいて、この争いに勝ちのこった藤原道長は、4人の娘をつぎつぎに天皇・皇太子の妃とし、朝廷で権勢をほしいままにした。後一条・後朱雀・後冷泉の3天皇はみな藤原道長の外孫で、藤原道長の子藤原頼通も、この3天皇の時代、約50年間にわたり摂政・ 関白をつとめ、摂関家の勢力のもっとも安定した時代となった。

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