【大学受験・日本史】大化の改新|律令国家の成立まで

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大化の改新と律令国家の変遷について学びます。

大化の改新

618年に中国では唐が成立します。朝鮮半島でも、高句麗、新羅、百済の3国が、それぞれの方法で権力の集中を図っていた時代。その時代において、日本は強力な中央集権国家建設の必要にせまられていました。

律令国家の成立まで

  • 645年「乙巳の変(いつしのへん)」…中大兄皇子と中臣鎌足らが蘇我入鹿を暗殺。
  • 646年「改新の詔」…中大兄皇子らの新政府がうちだした新しい政治の方針。
  • 663年「白村江の戦い」…日本VS唐・新羅連合軍。日本の負け。中大兄皇子、天智天皇に即位。
  • 670年「庚午年籍」…最初の全国的戸籍とされる。
  • 672年「壬申の乱」…天智天皇の死後、皇子の大友皇子VS弟の大海人皇子。大海人皇子が勝利し、天武天皇となる。
  • 690年ごろ「藤原京」建設…日本最初の本格的な都城
  • 701年「大宝律令」制定…中国の律令を手本として作られた、本格的な刑法(律)、行政法(令)の制度。
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改新の詔

改新の詔では京・畿内や地方の行政制度や中央集権的な交通・軍事の制度、新たな租税制度を定めている。 日本海側の蝦夷支配の拠点として、淳足綱・緊舟欄が設けられた。

天武天皇

天武天皇は壬申の乱の後、畿内の有力豪族が没落したことにより相対的に権力を強め、親政を行った。天武天皇は仏教を尊重して大寺院を建立する一方、僧尼を規制し、仏教を国家統制の下に置いた。

持統天皇

持続天皇は、もと天武天皇の皇后であったが、夫・天武天皇や息子・草壁王子の死後、自ら皇位につき、また孫・文武天皇の即位も実現している。 持統天皇は庚寅年籍を制定した。

大宝律令

大宝律令は刑部親王らによって編纂された。大宝律令の改定法として、養老律令が編纂された。

  • 律令…律令国家の行政機関、租税制度、刑罰や裁判制度が定められていた。
  • 律…犯罪とそれに対する刑罰について定めた法典であり、国家や天皇に対する犯罪は、八虐という重罪の一つであった。 律令下の法は、太政官の合議・立案を経て、天皇の裁可を得て制定された。
  • 令…今日の行政法や民法にあたる。

まとめ

聖徳太子の死後、独裁的な政治をしていた蘇我蝦夷・入鹿の親子を中大兄皇子や中臣鎌足(のちの藤原鎌足)らが倒して、新しい政治の仕組みをつくる改革を始めました。

  • 難波宮…都を難波(大阪府)に移しました。
  • 公地・公民…それまで豪族が支配した土地を人々を国家が直接支配します。
  • 朝廷の組織を整え、権力の集中を目指しました。
  • 日本で初めて「大化」という年号が使われました。

天武天皇は、天皇の地位を大幅に高め、都を再び飛鳥に都を移し、律令や歴史書の編さんを命じました。

  • 天武天皇の没後、その皇后が持統天皇として即位。
  • 本格的な都である藤原京をつくる。
  • 律令制度を実施する準備を整える。
  • この頃、日本という国は定められました、

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