高校倫理「入試によく出る覚えておくべき人物まとめ」

シェアする

スポンサーリンク

今回は、センター入試や大学入試よく出る人物をまとめてみました。この記事に出ててくる人物は、最低限おさえておくべき人物で、一人でも欠かしてしまうと平均点をとるのは、難しくなるでしょう。

目次

【倫理】入試によく出る人物のまとめ(外国人編)

スポンサーリンク

カント

カント(1724年から1804年没)は、科学的認識を基礎付けるために、人間の認識能力を中心とする「理性能力」そのものを吟味(批判)しようというものであった。カントは、ケーニヒスベルク(現ロシア領カリーニングラード)を生涯離れることなく規則的な独身生活を80年間おくった。カントの主著名から批判主義といわれるが、経験から純粋な理性能力(認識機能)を吟味(批判)した書が「純粋理性批判」である。

コペルニクス的転回
コペルニクス的転回とは、考え方が正反対に転換するたとえで、カントは自分の認識論をそう表現した。従来の主観が客観(対象)に基づくと考える認識論を主観の先天的形式に基づいて客観(対象)が成立すると、正反対に転回する認識論である。

パスカル

➊数学では「パスカルの三角形」(1655)
➋物理学では「パスカルの原理」、「乗合馬車(馬車の共有、史上初の公共交通機関)」の発明(1662)
➌気象学で用いられるヘクトパスカル (hPa)は、日本でも1992年から使用されている気圧の単位

など、哲学・宗教以外の多分野に及んだが、39歳で亡くなる。パスカルは繊細な精神で考えていた。

デカルト

デカルト(1596年から1650年没)にとって、科学の魅力(不思議)は、その確実性にあった。したがって、科学の基礎付けとは絶対確実性の発見を意味していた。著書に「方法叙説(序説)」(1637)。「良識(ボン=サンス、理性)は、この世で最も公平に配分されている」で始まり、デカルトの精神的自叙伝と思想の概略が平易なフランス語で述べられている。

スピノザ

(1632年から1677年没)画家フェルメール(1632年から1675年没)と同時代に生き、主著『エチカ』(1677)で神即自然という汎神論によって「神(実体)一元興」を説いたが、長く無神論者とみなされてきた。

ライプニッツ

(1646年から1716年) …宇宙に無数に存在する分割不可能な単子(本質)を著書『モナド論』(1714)で展開した。

ガリレオ・ガリレイ

ガリレオ・ガリレイは、1564年から1642年没。ガリレオの偉大な業績は、観察にとどまらず、自分の仮説を実験して真理とする真理基準と科学的思考を確立したことである。

➊「天文対話(1632)」「新科学対話(1638)」)を著し、自ら制作した望遠鏡で天体を観測。
➋「振り子の等時性」を発見し、「振り子時計」を考案。
➌「落体の法則」物体が落下に要する時間は、その重さに依存しないという法則の発見。
➍物体の落下距離は、その時間の二乗に比例するという真理を発見。

マキャヴェリ

(1469年から1527年没)著「君主論」は科学的な政治理論を提案した。政治や宗教や道徳から切り離した現実主義の政治論で、近代政治学の基礎となった。

ピコ=デラ=ミランドラ

(1463年から1494年没)討論の原稿『人間の尊厳について(1486)』で、人間は「自由意志」によって何者にもなれるという近代人の本質を述べている。

レオナルド=ダ=ヴィンチ

(1452年から1519年没)「最後の晩置」「モナリザ」。絵画のほか、彫刻・建築・音楽・解剖学・天文学・物理学・機械学・土木工学などのあらゆる科学・芸術分野に精通し、優れた発明家でもあった。

ミケランジェロ

(1475年から1564年没)「最後の審判」・「彫刻ビエタ」。その他、建築、詩などにも優れたいた。

ラファエロ

(1483年から1520年没)「アテナイの学堂」「システィーナの聖母子」

エリアーテ

宗教学者のエリアーテは、「死と再生(インシエーションの宗教的意義)」の中で、イニシエーションの目的は、「加入させる人間の宗教的、社会的地位を決定的に変更すること」、つまり、全く別人となることだと述べています。

エラスムス

ネーデルランドの人文学者エラスムス (1466年から1536年没)は、痴愚神礼讃の著書の中で、聖職者・神学者、王侯貴族などの愚かしさや腐敗・堕落を痛烈に批判した。ルターは、エラスムスと戦い自由意志文書定し、卵も神から与えられる恩寵と考え、個人が神と直接つながる「万人司際説」「聖書中心主義」「信仰義認説」を展開した。

フロイト

精神医学や臨床心理学などの基礎となったのみならず、20世紀以降の文学・芸術・人間理解に広く甚大な影響を与えました。局所論(意識・前意識・無意識)、構造論(自我・超自我・イド)、性的発達理論(口唇期・肛門期・男根期・エディプス期・潜伏期・性器期)、生の本能(エロス)・死の本能(タナトス)を唱え、主な著書として、『夢判断』、『精神分析入門』があります。

ユング

スイスの精神科医・心理学者。深層心理について研究、分析心理学を創始した。分析心理学は、ユングが創始した深層心理学理論で、心理療法理論です。ユング心理学とも呼ばれます。コンプレックス(感情複合)の現象を研究したユングは、言語連想実験等を通じて深層心理の解明を志向し、当時、精神分析を提唱していたウィーンのジークムント・フロイトから大きな影響を受けました。

デモクリトス

前460年ごろから前370年ごろ没で、アルケーを原子(アトム)とし、万物の根源を、それ以上分割できない物質の最小単位(原子)とした。アトムが、空虚(空間)の中を運動して、結合・ 分離を繰り返し世界が成立していると考えた。魂(精神)や自由を否定した。

ソフィスト

ソフィスト(知者)とよばれる職業の牧師。多くは植民都市の出身者。高い授業料をとって、青年たちに弁論術や幅広い知識を教えた。

ソフィストは、前5世紀の民主政治を背景に、高い報酬でレトリック(弁論術、修辞学)の技術を教援した。その代表者プロタゴラスの人間は万物の尺度とは、法律もポリスによって違い、寒暖涼暑の感覚も人それぞれで、善悪の倫理るときと場と場合で異なるなど、客観的真理・絶対的価値観はなく、主観的・相対的審理しかないという相対主義を表現しています。したがって、絶対的真理は知り得ないという不可知主義(懐疑主義)の思想を表明。一方、自然哲学者たちは、自然(世界)を対象とし、普遍(絶対的真理であるロゴスを探究したのでした。

ヘラクレイトス

自然哲学者のヘラクレイトスは、ロゴス(法則・秩序)による自然界の生成変化こそ真理(「万物流転)であり 水深不変の存在はないと説いた。

ソクラテス

ギリシャの哲学者。よく生きることを求め、対話を通して善・徳の探求をしつつ、知らないことを知らないと自覚すべく自己を吟味することとしての哲学(無知の知)により、自己の魂に配慮するように勧めた。その真理は「無知の知」です。「知らないことを知っている」という意味であり、「善く生きる。美しく生きる(カロ・カガティア)」というアレテーを知らないことを知る(自覚する)ほうが、知らないままの人よりも費者であるという意味です。人間として善く生きる(アレテー」には、「魂(プシュケー)への配慮」に心がけることとしています。これが、ソクラテスの解答。

プラトン

プラトンの問題意識は、師のソクラテスと同じ「人間として善く生きる(アレテー・徳)」の追究でした。主な概念として、イデアと感性の二元論。著書に、『ソクラテスの弁明』、『クリトン』『饗宴』、『パイドン』、『国家』、『パイドロス』など。プラトンの出発点は、ソクラテスの解答であった魂への配慮です。すなわち、魂への配慮は何となく分かるが、明確にはなっていないものです。ソクラテスを主人公とした対話篇を多数(約30篇)書いて、その言動と思想を追思考(『ソクラテスの弁明』や『クリトン』などの前期著作)し、プラトン自身の思想を展開(「安宴」「パイドン」「国家」)などの中期以後の著作していきました。

プラトンは、イデアを認識している哲学者が統治者となる哲人政治を理想と考えました。 イデアとは、原型・形・実体の意味で、「美そのもの」「正義そのもの」「書そのもの」という感覚では認識できない永遠不変の真実在のことです。対話篇『メノン』でアナムネーシスの概念が語られ、『パイドン』ではイデア論と結び付けて語られています。

アリストテレス

アリストテレスの問題意識も、師プラトン同様の「人間として善く生きるには?」であった。しかし、現実主義の立場から徳(アレテー)を追究。そのために、プラトンの 「イデア論」を厳しく批判し、現実の個物に本質(形相・エイドス=プラトンのイデア)が内在しているという「エイドス論」を展開した。

アリストテレスは、現実主義の立場から四元徳を見続ける観想(テオーリア)だけでは不十分であり、たとえば「勇気」が「無謀」と「臆病」の間にあるように、中庸(メソテース)を選ぶ思慮(プロネーシス)が、事物の本質(エイドス)を見抜く知恵(ソフィア)と同様に大切な知性的徳と考えた。また、現実生活で実践するには、中庸を習慣(エトス)とし、性格(エートス)にする習性的徳(性格的徳)の大切さを説いた。

マルクス・アウレリウス・アントニヌス帝

マルクス・アウレリウス・アントニヌス帝(即位161年から180年)は、ローマ帝国の最盛期であった五賢帝の最後の皇帝。『自省録』を著す。「死に対して精神を平静に保つべき」と倫理学重視の態度

老子

老子は、諸子百家の一人で、「大道廃れて仁義あり」儒家が仁義の道(人倫)を説くのは、本来の「道(自然の大道)」が廃れているからであると儒家を批判した。また、本来の「道(自然の大道)」の政治を「小国寡民(素朴で柔和な心の人の住む小国家)」で満足すべしと説いた。

本来の「道(自然の大道)」とは
➊「無為自然(わざとらしい作為のない姿)」
➋「上善は水の若し」(『老子』)と柔和で謙虚な争わない心(「柔弱謙下」)
で生きることを善とした。

荘子

荘子は、諸子百家の一人で、「万物斉同」という「道(タオ)」を説く。それは、是非善悪や美醜好嫌の分別は相対的にすぎず、相対性を超越する「道=万物斉同」を悟ることである。何ものにも拘束されない自由な悟りの境地で、この境地を遊ぶ達人を「真人」という。

➊心斎坐忘…道(タオ)を悟る方法
➋心斎…一切の分別判断を捨て去り心を「道」と一体化すること、
➌坐忘…五感を超え宇宙自然の働きにゆだねることである。

孔子

孔子(前551年から前479年没・魯の人・名は丘)は、儒家の祖

➊言行録は『論語(全20篇)』
➋儒教の四書(「大学」「論語」「孟子」「中庸」)の一つとして、朱憲(朱子・南宋の思想家)が重要視

孟子

孟子(前372年?から前289年没) は、戦国時代の儒学者で、儒家思想の1つで、孔子の「仁」を「仁義」と発展させて、「王道政治(軍事力による「覇道」でない政治)」を説いた。前漢の董仲舒が「信」を加え「五常」とし、「父子親あり、君臣差あり、婦別あり長幼序あり、朋友信あり」(『孟子』)の「五備」とともに「五倫五常」の道徳といわれる。

➊義とは、人として踏む正しい道であり、この義でなければ「浩然の家 (道徳的エネルギー)」は発揮されない。
➋人は生まれながら善であるという「性善説」の立場
➌誰の心にも「四端(芽生え)」の「側隠の心→仁」「震悪の心→義」「辞譲のル→礼」「是非の心→智」があり成長」て「四徳(仁義礼智)」となると説いた。

荀子

荀子(前298年?~前235年没?)も戦国時代の儒学者で、

➊孟子の性善説とは、逆で性悪説に立つ
➋孔子の「礼」(道徳規範)を重視して、礼治主義の立場から実力主義・成果主義の有効性を説いた。
➌弟子の韓非や李斯は、「法」による厳しい政治である法治主義を説き、法家思想を完成した。

ルクレティウス

自然哲学者のヘラクレイトスは ロゴス(法則・秩序)による自然界の生成変化こそ真理(万物流転・パンタ=レイ)であり、水深不変の存在はないと説いた。アルケーを火とした。

同時代(前5世紀頃)のパルメニデスは「万物は変化せず、永遠不変である」と説きました。両者を調和させたのが、エンペドクレス(前450頃)で、存在(地・水・火・風の四元素)は変化しないが統合・分離によって変化消滅するようにみえると説明しました。

キケロ

ストア派のキケロ(前106年~前43年没)。ローマの雄弁家・政治家。カエサルと並ぶラテン語散文の名手で、『義務について』『国家論』を著した。モンテスキューなどキケロ理論を参考にした思想家も多い

セネカ

セネカ(前1年から65年没)で、ローマ帝国の政治家・哲学者でストア派。著書『人生の短さについて』で「人は、自分自身のために暇を持つべき」であると述べる。道徳書簡の著書も有名

マックス=ウェーバー

マックス=ウェーバー(1864年から1920年没)は、宗教社会学者である。ユダヤ教の革新性は「宗教の合理性」にあり、すなわち、それまでの宗教の呪術(人間が神を操る)からの脱却にあったと指摘。イスラム教もそれを受け継いでいる。官僚制(ビューロクラシー)の特徴として、合理的な規則による支配、ピラミッド型の階層秩序(ヒエラルキー)による権限の構造などを指摘。『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の著書において、カルヴィニズムの勤勉で禁欲的な職業倫理が利潤の蓄積と資本の形成につながり、近代資本主義を生み出す精神的な支柱と論じた。カルヴァンの予定説が従来の苦役という労働観を世俗の職業も天職として勤勉に励み続ける行動的禁欲と、倹約による貯蓄を義とするエトス(行動様式)の変換を創造したと説い

ムハンマド

イスラム教の創始者。アッラーの啓示を受けた「最後で最高の預言者」という位置付け➡イスラム世界の近代化(現代化)を遅らせる原因ともなっている。すなわち、最後の預言者なので時代の変化に合わせて新しい教義に出来の停滞を余儀なくされてしまうのである。残されているのはコーラン(クルアーン)の解釈だけである。ユダヤ教とイスラム教には僧侶は存在しない。

アウグスティヌス

アウグスティヌスは、ローマ帝国末期に北アフリカのタガステ(現アルジェリア)に生まれ、23歳頃マニ教に帰依し、母モニカの影響でキリスト教に回心する(32歳頃)。その後、北アフリカの小都市ヒッポ司教として著作活動し、生涯を終えた。教父とは、2~8世紀にキリスト教正統教義や教説を著述した権威ある神学者のことである。

トマス=アクィナス

トマス=アクィナスは、南イタリア(ナポリ王国)の名門貴族に生まれ、イスラムのアヴェロエス(イブン=ルシュド)のアリストテレス哲学の影響を受け、大著『神学大全で中世のスコラ哲学(神学)を大成した。

ルター

17世紀はじめに、ドイツ(当時は「神聖ローマ帝国」)のルターが、「95カ条の論題」をヴッテンベルク大学(城)の扉に掲示して、贖宥状(しょくゆうじょう)とカトリック教会を批判したことに始まる。

エラスムス

自由意志論争を、ネーデルランドの人文学者エラスムスと闘ったルターは、自由意志文書定し、卵も神から与えられる恩寵と考え、個人が神と直接つながる「万人司際説」「聖書中心主義」「信仰義認説」を展開した。

仏陀(シッダールタ)

シッダールタ(仏陀)の問題意識は、人生の苦悩(生・老・病・死の「四苦」さらに愛別離苦・怨憎会苦(おんぞうえく)・求不徳苦(ぐふとくく)・五蘊盛苦(ごうんじょうく)を加えた「四苦八苦」を、いかにして克服するかというすべての人間に共通するものであった。修行方法は、坐禅(瞑想法、精神集中法)である。

シッダールタ(仏陀)の発見した真理は、縁起の法である。それは「すべての存在は関係性の中にある」という直観(存在の関係性)であった。漢訳をすれば、「因是有是、此生則生」(これによってこれあり、これ生ずればすなわち生ず)となる。この真理を人生の苦悩の問題に応用すると、無明・行・識・名色・六処・興・受・愛・取・有・生・老死の「十二縁起(十二因縁)」となる。まさに「縁起の法」とは、「縁りて起こる」という法則である。その後、仏陀は説法(教授)し始める。その最初が鹿野苑で五人の比丘(修行者)への「初転法輪」といわれる「四(聖)諦」の教えであり、その後、仏陀の考え方の基本構造を「四法印」として説法(教授)した。

ナーガールジュナ

ナーガールジュナ(龍樹・150年から250年頃)は、『中論(409・鳩摩羅什の訳)』を著わし、「縁起の法(仏陀の悟り」にもとらわれない心として「空=無自性」を説いた。これは、有と無の両端を排した「中観」ともいう。大乗仏教を理論的に確立。

アサンガ・ヴァスバンドゥ兄弟

ガンダーラ地方出身のアサンガとヴァスバンドゥ兄弟は、「唯識論」で大乗仏教思想を完成させた。「唯識」とは、すべてはただ(唯)八種類の「識」、すなわち五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)と意識と二種の無意識(「末那識」「阿羅(頼耶識)」にすぎず、こだわらない自由な心を説いている。

フランシス・ベーコン

イギリス経験論の中で、自然研究の究極の目標は自然の技術的支配にあると主張。4つのイドラ(人間の陥りやすい偏見、先入観、誤り)、現実の観察や実験を重んじる「帰納法」を唱える。

トマス・ホッブズ

社会契約伝統の近代創設者で、物体論、人間論、国家論で有名。自然状態に於ける生とは「孤独、貧困、不快、粗暴、短い」と述べる。主な著書に『リヴァイアサン』

ルネ・デカルト

合理主義哲学(大陸合理論)であり近代哲学の祖。スコラ哲学に対する失望から、数学を愛し自然の科学的研究にいそしんだ。方法的懐疑、実体二元論、直交座標など唱え、「我思う、ゆえに我あり」と述べたことが有名。

ブレーズ・パスカル

数学者・物理学者でありモラリストでもある。パスカルの定理、パスカルの三角形「人間は考える葦である」が有名で、著書に『パンセ』。

ジョン・ロック

イギリス経験論で、タブラ・ラーサ、「被統治者の同意に基づいた政府」、自然状態、生命の権利、自由と財産権、「事象記述の平明な方法」を唱え、『統治二論』(『市民政府二論』)、『人間知性論』を著す。

ジャン=ジャック・ルソー

フランス啓蒙期の思想家。社会契約、ロマン主義、共産主義の先駆者です。一般意志、自然状態、社会契約、完成可能性を唱え、『社会契約論』、『エミール』、『人間不平等起源論』などを著す。

ジェレミ・ベンサム

功利主義の提唱者です。主な概念として「快楽や幸福をもたらす行為が善である」、「最大多数個人の最大幸福」、パノプティコンを唱えました。著書に『道徳及び立法の諸原理序説』があります。

ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル

ドイツ観念論。近代哲学と現代哲学の分水嶺。絶対観念論、弁証法、止揚、主人と奴隷の弁証法を唱える。『精神現象学』、『エンチクロペディー』、『法哲学・要綱』が主な著書。

ジョン・スチュアート・ミル

ベンサムの功利主義を擁護。経済学者でもある。社会民主主義・自由主義思想に多大な影響を与え、晩年は自ら社会主義者を名乗り、『功利主義論』、『自由論』が主な著書。

カール・マルクス

科学的社会主義の共同創設者(フリードリヒ・エンゲルスと共に)、史的唯物論、剰余価値、労働者の搾取、階級闘争を唱え、『資本論』、『共産党宣言』を著す。

セーレン・キェルケゴール

実存主義の創始者。ヘーゲル哲学の観念的な普遍性を拒否しました。著書に、『死にいたる病』、『哲学的断片』、『不安の概念』。

フリードリヒ・ニーチェ

実存主義、反キリスト、反ユダヤ主義、反国粋主義を唱える。著書に『悲劇の誕生』、『反時代的考察』、『悦ばしき知識』、『ツァラトゥストラはこう語った』がある。

ジャン=ポール・サルトル

無神論的実存主義。現象学と存在論を独自の解釈で継承したのちに実存主義とマルクス主義との融合をめざしました。主な著書に『存在と無』、『嘔吐』があります。

ベーコン

ベーコン (1561年から1626年まで生存)は、英国のテューダー朝エリザベス一世時代、劇作家シェークスピア(1564年生から1616年没)と同時代の人で、ガリレオ・ガリレイ(1564年から1642年没)らが開拓していた科学を基礎付け、力強く育成したいというのが問題意識であった。

ベーコンは、著書『ノヴム=オルガヌム(新機関)』(1620) で、実生活に役立つ新しい学問である科学の考え方を明らかにした。「知は力なり」の格言は、中世以来のスコラ学(神学)の抽象的な論証ではなく、観察による経験に基づく科学の知識・法則は、実生活を便利に豊かに変える力があることを表現している。

【倫理】入試によく出る人物のまとめ(日本人編)

聖徳太子

聖徳太子の自筆と伝えられる「法華経義疏」が、日本最古の書物として残っている。聖徳太子(鉄明天皇の孫、用明天皇の長男、曾祖父1人は蘇我稲目)は、593年、日本初の女性の推古天皇が即位すると, 日本初の摂政(皇太子でもある)となった。中央集権(天皇中心)の文化(律令)国家を建国するには、仏教に基づく和の精神による政治が必要とした。

日蓮

日蓮(1222年から1282年)は、自分の名を宗派とした。

➊「法華経」の題名を唱える唱題(「南無妙法蓮華経」)だけで功徳とした。
➋中国にもない独創的な思想を展開した。
➌日蓮は、他の宗派を激しく非難をし、幕府への直訴も繰り返した。

道元

日本で曹洞宗を開いた道元(1200年から1253年没)は、入宋の前に建仁寺で修行しており、明全(栄西の弟子・道元の師)を通した孫弟子にあたる一方、道元の曹洞宗の禅は、「只管打坐(しかんたざ、ただ坐ること)」である。それは悟りを求めるのではなく、ただ坐禅するのである。

栄西

(1141年から1215年没)
➊二度中国(宋)へ渡り、禅(臨済宗)を学ぶ。
➋日本で臨済宗を開いた。
➌興禅護国論を著す。末法の世であるからといって、戒律を守らない風潮を批判。

親鸞

浄土真宗の開祖である親鸞(1173年から1262年没)の「悪人正機」の教えとは、阿弥陀仏(如来)の本願(48願中の第18願、一切衆生を極楽浄土に救済しようという誓願、大悲心をひたすら信じる(他力)悪人(末法濁世を生きる煩悩具足の凡夫であると自覚した人)こそが、「正機(本来の対象)」であるという思想である。人は皆「悪人(煩悩具足)」という親の人間理解が根底にあり、「善人(自力作善)」は自己反省が不十分であり、阿弥陀仏への信仰心(他力)が小さくなるという思想である。

浄土宗と浄土真宗との比較
・法然の専修念仏は「お願いします」の念仏
・親鸞の口称念仏は「ありがとうございました」の念仏

法然

浄土宗の開祖である法然(1133年から1212年没・源空)は、平安時代末期の「末法思想」の不安が広がる中で、凡夫であってもすべての人は念仏(南無阿弥陀仏)を称える(口称念仏)だけで極楽浄土へ往生できる、という「専修念仏(せんじゅねんぶつ)」を説き、民衆の支持を広げていった。浄土教(浄土思想、浄土宗・浄土真宗・時宗を含む)との違いは、ひたすら念仏を称える易行だけを正行としたことである。

折口信夫

折口信夫(1887年から1953年没)民俗学者・国文学者。神話や文学から古代人の思考を探究。現地調査から、日本の神は「まれびと(稀人・客人)」であり、共同体の外(生命みなぎる「あの世」)からの来訪者と考えた。柳田国男と見解の相違点。
折口信夫の「類化性能(現代人は違いを知る「別化性能」)」という古代人の思考は、アナロジー(類比・比喩)の思考である。

最澄

19歳の最澄(現在の滋賀県大津市生まれ)は、東大寺で具足戒(僧侶が守る戒律)を受けたが、わずか3カ月後には比叡山(霊山として信仰)に入り、一乗止観院(のちの延暦寺根本中堂)という草庵で悲願 (願文)を決意し、12年間修業(止観・深い瞑想)をした。

偶然の幸運(和気広世…和気清麻呂の長男)から平安京遷都(794)する桓武天皇の龍僧となり、804年中国の天台宗を直接学ぶために遣唐使の一員として入唐する。 異例の通訳付き短期「還学僧」として天台山で8カ月学び、天台秘蔵の典籍230部460巻を持ち帰る。

最澄の教え
真の教えはただ一つのみとする一乗思想。悟れるものとできないものを区別する奈良仏教に不満な最澄の「仏性論」は、南都六宗を代表する法相宗の徳ー(福島県会津の僧)との三一権実論争で明確となる。最澄は理想主義で、「一切衆生悉有仏性」の人間平等主義を説く。一方の徳一は、現実主義で人間性の違いを説いた。結局、最澄の仏性論は、どんな人でも何度も生まれ変わり、いつかは悟ることができるというものであった。さらに、人間ばかりか山や川までもが悟ることができるとい「山川草木悉有仏性」という日本仏教の伝統ともいうべき「天台本覚論」が生まれた。

空海

19歳の空海(現在の香川県善通寺市生まれ)も大学寮での「明経道(儒学・官僚の道)」を捨て、山林修行に入り、24歳で反対する親族への出家宣言である『三経指帰』を書いた。最澄と同じ804年の遣唐使の一員で、20年の「留学僧」として入唐する(30歳)が2年間で帰国する。

空海の教え
空海の仏性論である「即身成仏論」は、さらに発展・変形させて、人間や山川だけでなくこの世のあらゆるものに「仏性(=大日如来)」が宿っていて、何度も生まれ変わる遠い将来ではなく、煩悩を持った現在のまま悟りに至れるという真言密教(真言宗は日本独自)を説いた。

林羅山

林羅山(江戸時代初期の朱子学者)の中心思想は、「存心持敬(日常の言動をつつしみ、本来の自己に立ち返ること)」と「上下定分の理(士農工商の身分秩序, 幕藩体制の正当化)」である。

山崎闇斎

山崎闇斎(1618~82)は、「垂加神道(朱子学による吉田神道の理論付け)」という新しい体系をつくった。この神道で天真への信仰を示し、のちの尊王運動に影響を与えた。

中江藤樹

中江藤樹(1608~48、江戸時代初期の陽明学者、近江聖人、『翁問答(1640)』 『鑑草(1647)』)は、親に尽くず「孝」を大切にし、学問の目的を徳と人格形成におき、江戸時代の身分秩序を超えて「人間平等論」を説いた。

熊沢蕃山

熊沢蕃山(1619~91)は、1642年から中江藤樹に陽明学を学び、1670年には日本初の庶民学校「閑谷学問所(岡山県)」を設立した。

柳田国男

日本民俗学の父。山人(狩猟民)の研究から「常民 (里人、農耕民、民衆)」の民間伝承に基層文化を探究。昔話や説話に日本人の信仰を求めた日本の基層文化を探究する方法として、生活文化と記紀神話から探る道がある中で、柳田国男(1875年から1962年没)は、日本の「ハレ(晴・聖)」と「ケ(普通・普段・俗)」を区別する伝統的な「生活文化」を指摘した。

和辻哲郎

和辻哲郎は、著書『風土』(副題は「人間学的考察」)で、単なる自然現象の他に人間存在や歴史・文化との関係を扱うので、風土と読むと説明している。日本の風土類型は「モンスーン型」で、夏の蒸暑さと四季(春夏秋冬の変化に特徴があり、独自の美意識を培ってきた。

「モンスーン型」の風土に生きる人間は、受容的・忍従的な傾向があり、近代以降「牧場型」の合理的・自発的人間に憧れたが、日本風土の特色を自覚することも大切としている。

山鹿素行

山鹿素行は、「聖教要録」(1665)で孔子・周公の教えに帰るべきと朱子学を批判し、古学を宣言した。

山鹿素行の説く武士道とは、

➊「武道」から「士道(教養ある武士)」への転換
➋人格的に優れ模範となる存在を目指すこと

を説いている。朱子学の注釈や解釈を捨てて、孔子の書に直接依拠しようとしたところが古学の先駆者とされる。戦乱の世が去り太平の世の到来の中で、武士の生き方、存在理由を「士道」として提示した。それは「武道」としてではなく、他の身分層から尊敬される教養ある人格者を目指す「士道」である。具体的方法は、教古典を読み、日常生活で「道義(正しい道・道徳)」に従い鍛錬していくこととした。

伊藤仁斎

伊藤仁斎は、朱子学を批判し、『論語』を最上第一の書とし、『孟子』を補助とする二書の原義に戻ろうという古義学を創始者した。京都堀川の自宅に私塾「古義堂」を開き(1662)、門弟三千人を集めた。

➊『論語古義』(全10巻・論語の注釈書)
➋『孟子古義』…人間性と生き方(道徳)を探究の成果
➌『童子門』全3巻…人間性と生き方(道徳)の研究方法・実践を童子との対話形式

伊藤仁斎は、「誠 (いつわり飾ることのない心)」を「誠ならざれば、仁にあらず」と最も大切にしている。『論語』を第一の書とし、ついで『孟子』を大切に精読。古代中国の言葉の用法や意味に則して厳密に研究する古文辞学を創始し、その後、本居宣長らの国学に影響を与えた。

荻生徂徠

荻生徂徠(1666年から1728年没・儒学者)は、伊藤仁斎の古義学を攻撃し、『弁道』『弁名」を著して、より徹底した古文辞学を創始した。古文辞とは、中国語としての古典を中国語で発音し、制度文物の研究も総合して、「先王の道」を探究することである。また、徳川吉宗の内命によって『太平策』『政談』を著わし「経世済民(世をおさめ民をすくう)政治学としての徂徠学を展開した。

本居宣長

本居宣長 (1730~1801、江戸時代後期、国学の大成者)は、三重県松坂の木綿問屋に生まれ、1763年(34歳)5月25日に松坂の旅宿での賀茂真淵との偶然の出会いを契機に、『古事記』研究を始めた(『古真記伝(全4巻)』完成は、 1798年69歳)。

『古事記』研究。人間の素直な欲望や感情を肯定し、「もののあはれ」を知る同情・共感能力を身につけている人を「心ある人」、そうでない人を「心なき人」という。

平田篤胤

平田篤胤(1776年1843年没、江戸時代後期、国学者)は、「復古神道(古神道・古道)」の大成者である。本居宣長の死後に門弟となり、1812年(37歳)に、思想の中核をなす霊能真柱(たまのみはしら)』を書きあげた。またこの頃、『古道大意』などの講本も執筆され、平田学の根幹はでき上がっていた。

契沖

契沖(1640~1701, 江戸時代中期の真言宗の僧、国学者)は、摂津国(兵庫県) 尼崎に生まれ、徳川光圀(1628~1701, 水戸藩第二代藩主,水戸黄門)から委嘱された『万葉代匠記』(1690,万葉集の注釈書)など、実証的学問法による著作は、国学の発展に寄与した。

荷田養満

荷田養満(1669~1736,江戸時代中期、国学者)は、京都伏見稲荷の神職の子として生まれ、和歌・神道・国史(律令・有職故実)を研究し、「復古神道」を提唱した。『創学校啓文』を 1727年に江戸幕府に提出して国学の学校をつくるよう願い出たが、実現しなかった。

賀茂真淵

賀茂真淵(1697年から1769年没、江戸時代中期、国学者)は、遠江国浜松の村社の禰宜の子として生まれ、『万葉集』などの古典研究を通して古代日本人の精神(古道)を追究し、「万葉主義」を主張した。『万葉考』は、最も精力を傾けた著作である。賀茂真淵は平安期成立の『古今集』は、技巧を弄した「たおやめぶり」と批判し、『万葉集』の歌にこそ力強い精神である「高き直き心」があらわれた「ますらをぶり」であり、本来の日本精神(古道)であると説いた。

『万葉集』などの古典研究し「万葉主義」を主張。平安期成立の『古今集』は、技巧を弄した「たおやめぶり」と批判し、『万葉集』の歌にこそ力強い精神である「高く直き心」があらわれた「ますらをぶり(男性的で力強い)」であり、本来の日本精神(古道)であると説いた。

安藤昌益(あんどうしょうえき)

社会思想家・医者。天災・ききんに見まわれ、悲惨な生活に追われる農民の立場に立って『自然真営道』を書き、封建制度を批判した。とくに、働はたらかないで贅沢をしている武士階級を批難。すべての人が生産に従事する平等な社会を理想とした。

二宮尊徳

農政家。農家に生まれ、没落した家を再興。それが広まり、諸藩・諸村の復興に尽力、後に幕臣となりました。徹底した実践主義者で、その思想・行動は報徳社運動として受け継がれます。

福沢諭吉

学者・啓蒙思想家。慶応義塾の創始者であり、伝染病の研究や翻訳家としても偉大な成果を残した人。『学問のすゝめ』は人間平等宣言と一身独立・一国独立、独立自尊の主張により、ベストセラー。そのほか、主な著書に「西洋事情」「文明論之概略」などがあります。

小此木啓吾

日本の心理学者小此木啓吾は、「青年期の延長」に伴う「新しいモラトリアム心理」の特徴を、むしろ青年期を楽しみ、就職・結婚という決断を先送りして、いつまでもモラトリアム状態を続けていたいという今の状態を楽しむ所に求め、それらの青年たちを「モラトリアム人間」と名付けました。「モラトリアム人間」の心理は青年だけでなく、世代をこえて現代人の深層心理となっていると指摘しています。
確認【高校倫理】青年期の課題「個性の追求」

石田梅岩

石田梅岩 (1685年から1744年没)、丹波国(京都府亀岡)の農家の生まれで、1728年45歳のとき、借家の自宅で無料講座(道話の講釈)を開き、のちに「石門心学(心学)」と呼ばれた。(心学は、本心の学の略称で、「本心に対して正直」であれが基本思想)

封建社会の身分秩序(士農工商)の中で、1738年55歳のとき、主著「都圏幣」4巻を著わし、町人(商人)道徳を築き、京都商道の祖といわれた。すなわち、勤勉と倹約を奨励し、人と社会に奉仕した結果が利潤である営利活動(商売)は、善行であり修行であるという思想である。

安藤昌益

安藤昌益(1703年から1762年没)は、出羽国(秋田県大館)の農家の生まれで、江戸時代中期の思想家・医者である。在日カナダ大使 E.ハーバート=ノーマンの「忘れられた思想家 安藤昌益のこと」(岩波新書)で 世に知られるようになった。安藤昌益は、士農工商という身分社会で、四民平等や環境の大切さ(エコロジー)を提唱した思想家として注目されているが、著書「自然真営道」で、万人直耕の自然世を理想社会としたことに由来する。

二宮尊徳

二宮尊徳(1787年から1856年没)は、相模国(神奈川県小田原)の農家の生まれで、江戸時代後期の思想家・農政家である。二宮尊徳は、報徳思想を唱えて報徳仕法という農村復興政策を指導した。

スポンサーリンク
スポンサーリンク

シェアする

フォローする

スポンサーリンク
トップへ戻る