【大学受験・日本史】太平洋戦争(第2次世界大戦)とその時代の文化

太平洋戦争(第2次世界大戦)とその時代の文化についてまとめています。戦争が続いている間も市民生活は営まれています。その時代の文化や生活についてもまとめています。それでは、太平洋戦争(第2次世界大戦)とその時代の文化についてみていきましょう。

太平洋戦争(第2次世界大戦)

政府は、日中戦争が長期化すると、国家総動員法を制定します。また、1940年ころから、近衛文麿が新体制運動を推進し、民衆の統合を図りました。戦争協力体制を整えるため大日本産業報国会を結成。

1939年には、アメリカから日米通商航海条約の破棄を通告され、1940年に失効。これにより、資源、資材の確保が困難になります。一方で、1940年日独伊三国同盟が結ばれ枢軸体制が強化され、アメリカとの対立が決定的に。

日本のアジアに対しての侵略が南方まで及ぶと、アメリカ、イギリス、中国、オランダは、ABCD包囲陣を強化して日本に対抗。日中戦争の長期化のさなか、1939年には、ノモンハンで関東軍とソ連軍との2度目の軍事衝突が起きた。

日本軍の中国からの撤退などをめぐりアメリカとの交渉が暗礁にのりあげ、近衛文麿内閣は総辞職し、東条英機が首相へ。日本は、真珠湾攻撃とほぼ同時にマレー半島に上陸し、約半年ほどで東南アジア・西太平洋の広大な地域を占領した。太平洋戦時中には、学徒動員をとり、子どもも軍需工場で働かされました。植民地では、台湾人、朝鮮人に対して徴兵制、また皇民化教育も行われ日本語教育が徹底されました。

1942年のミッドウェー海戦の大敗で、日本の戦局は不利に。B29爆撃機による東京への空襲でより形勢は不利に。とどめにとして、広島、長崎に原爆が落とされ、無差別に大量の殺戮をもたらされる。

スポンサーリンク

ポツダム宣言

  • カイロ宣言…1943年、アメリカ、中国、イギリスがカイロで会議。日本の無条件降伏を目指すことを確認。
  • ヤルタ会議…1945年2月、アメリカ、イギリス、ソ連がヤルタで会議。ドイツの降伏後のソ連参戦が決まる。
  • ポツダム宣言…1945年8月、日本は無条件降伏。

太平洋戦争(第2次世界大戦)の文化・生活

価格等統制令が施行されると共に、砂糖、マッチ、木炭などに切符制が導入される。物資が不足する中、日用品への統制も強まりました。それでも、配給だけでは不足するようになり、食料の闇取引もおこなれていました。

あわせて確認