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【高校日本史】江戸時代のポイント

江戸時代のアイキャッチ画像 地理歴史
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【日本史】江戸時代についてまとめています。高校日本史の中でも「江戸時代」は、政治・経済・文化の全てが試験範囲に含まれる重要な時代です。徳川幕府による約260年の統治を通じて、日本独自の政治体制が確立され、社会の安定や産業の発展、町人文化の花開く時代でもありました。一方で、鎖国政策や農民一揆、開国に至る動きなど、多くの試験頻出テーマも含まれています。この記事では、江戸時代を効率よく学ぶためのポイントを、政治・経済・文化の視点でわかりやすく整理。高校入試や大学受験の基礎固めにぜひ役立ててください!

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江戸幕府の成立

関ヶ原の戦いののち、1603年、徳川家康は、征夷大将軍となり江戸幕府を開きました。以後260年あまりを江戸時代という。徳川家康は将軍職をわずか2年で子の徳川秀忠にゆずり、みずからは 大御所(前将軍のこと)として政治の実権をにぎった。

しかし、徳川家康は、なお大坂城にいる豊臣秀頼に不安を感じ、ついに2回の 大坂の役(大坂冬の陣・夏の陣)をおこして, 1615(元和元)年に 豊臣氏を攻めほろぼした。

項目 内容
成立年 1603年
創設者 徳川家康
幕府の場所 江戸(現在の東京)
関ヶ原の戦い 1600年に徳川家康が石田三成率いる西軍を破り、天下を掌握した戦い。
征夷大将軍の任命 1603年、朝廷から征夷大将軍に任命され、江戸幕府を開く。
支配体制 幕藩体制(幕府が全国を統治し、大名が各藩を支配する分権的な統治体制)
主要政策 – 武家諸法度(大名の行動を規制)
– 禁中並公家諸法度(朝廷の活動を統制)
徳川家康の晩年 1615年、大坂夏の陣で豊臣氏を滅ぼし、徳川家の支配を確立。
江戸幕府の特徴 長期の平和を実現(約260年続く)

大名統制

大名とは、将軍から1万石以上の領地を与えられたもの指します。また、その関係から3つに分かれます。

  • 親藩=徳川氏一門御三家(尾張、紀伊、水戸)
  • 譜代=関ヶ原の戦いより前からの家臣、幕政参与
  • 外様=関ヶ原の戦い以後の家臣
  • 一国一城令(1615)
  • 武家諸法度(1615)大名の守るべき事柄示す
  • 参勤交代制(1635)妻子を江戸に置き、1年ごとに江戸と国元の往復義務づけ交通費、江戸生活費の多大な出費で経済力失わせる
  • 禁中並公家諸法度(1615)=天皇の政治活動抑圧
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士農工商

近世の社会では、いわゆる士農工商とよばれる身分の別がたてられた。それは幕藩体制をかため維持してゆくためのもので、武士は四民の最上位におかれ、苗字・帯刀の特権をゆるされ、 農民や町人の無礼に対して切捨御免がみとめられることもあった。農民は貢租の担当者として重視されたが、そのために生活 の規制もきびしかった。

都市に住む職人や商人は社会的にはいちだんと低い身分とされたが、統制は比較的ゆるやかであった。また「士農工商」の下には、「かわた」「ひにん」などとよばれる 賤民身分の人々がおかれ、居住地や服装をはじめ、生活のさまざまな面で制約をうけていた。

農民統制

  • 田畑永代売買禁令(1643)…「たばこ・木綿・菜種」などの商品作物を本田畑に植えることを禁止
  • 慶安触書(1649)…本百姓体制を維持し、年貢を確保するため

幕府体制

  • 大老…将軍の補佐役、臨時に老中の上に置かれた最高職
  • 老中…政務全般を取り仕切る
  • 若年寄…老中の補佐
  • 寺社奉行…寺社の行政、訴訟、関東以外の私領からの訴訟を受けた

<その他>

  • 目付…旗本・御家人の監察
  • 大目付…大名の監察
  • 町奉行…江戸市中の行政と裁判をした
  • 勘定奉行…財政、関東の訴訟、関東以外の幕領からの訴訟、郡代・代官の支配

鎖国の形成

  • 1616年…中国船以外の外国船の来航を、平戸と長崎に制限
  • 1624年…スペイン船の来航禁止
  • 1633年…奉書船以外の海外渡航禁止
  • 1635年…日本人の海外渡航と帰国の禁止
  • 1639年…ポルトガル船の来航禁止
  • 1641年…オランダ商館を長崎の出島に移す
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江戸時代の産業

江戸時代の産業は、「農業」「商業」「手工業」の発展が大きな特徴です。まず農業では、新田開発が進み、干潟や沼地を開拓して米の生産量が増加しました。また、干鰯や油かすなどの肥料が普及し、品種改良も進んだことで、米だけでなく、綿や菜種といった商品作物の生産も盛んになりました。

商業の面では、全国各地の城下町や宿場町が経済の中心として栄えました。大阪の蔵屋敷では米の取引が盛んに行われ、両替商(現在の銀行に近い機能)が発達して金融業も進展しました。一方で、手工業では、綿織物や絹織物といった織物産業が各地で発展し、瀬戸物や金箔といった伝統工芸品も多く作られるようになりました。

さらに、五街道をはじめとする交通網の整備により物流がスムーズになり、各地の商人や旅人が物資や文化を運ぶことで経済が活性化しました。また、金(小判)、銀(丁銀)、銭(銅貨)の三貨制度が確立され、貨幣経済が広がったことも商業の発展に寄与しました。

これらの経済発展により、町人文化も栄え、浮世絵や歌舞伎といった庶民文化が全国に広まりました。

農業技術の進歩

箱根用水や見沼代用水の整備、新田開発によって、耕地面積が2倍近くに拡大してます。農具の改良が進み、深耕用の備中ぐわ、脱穀用の千歯ごき、選別用の千石どおし、灌漑の踏車などが考案されました。また肥料も、商品作物栽培において、干鰯、油粕などの金肥が使用されました。

  • 農具が進化…備中鍬(深耕可)、水車、踏車、千歯こき、唐臼、唐箕、千石とおし
  • 農書…「農業全書」(宮崎安貞)施肥よりも耕耘や除草の技術を中心に記述
  • 商品作物栽培…四木 =茶、楮、漆、桑。三草=麻、藍、紅花。他には煙草、菜種、木綿など

一方、工業では、問屋制家内工業が発達。問屋が登場して原料や道具を用意してくれ、 農民は家で働くだけで収入を得ることができるようになる。

商業の発達

江戸・大坂・京都を三都と呼び、「将軍のお膝元」である江戸は政治都市として発達し、18世紀前半には、人口100万人を超えました。商業都市である大坂は、諸藩の年貢米や特産物を保管する蔵屋敷が軒を並べ、京都は、文化・宗教都市としての特色がありました。

  • 蔵屋敷(大消費地)で保管・販売
  • 蔵役人(蔵元=販売、掛屋=送金)が扱う
  • 株仲間の結成…問屋・仲買による同業組合(利益独占)
  • 両替商…預金、貸付おこなう

交通の発達

江戸日本橋を起点とする幕府直轄の主要幹線道路を総称して五街道といい、宿駅がおこあれ、一里塚という路程評、「入鉄砲に出女」を取り締まる関所が設けられました。

  • 五街道の整備…東海道、中山道、甲州、奥州、日光道中
  • 宿場…大名が参勤交代をするために宿る場所として整備
  • 関所の設置…箱根、新居、碓氷、木曽福島。治安維持のため。
  • 南海路…菱垣・樽廻船
  • 東西廻り航路…河村瑞賢が整備
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開国

1853年にペリーの来航。1852年10月13日、ペリーは4隻の軍艦を率いてノーフォークを出港し、喜望峰・シンガポール経由で、1853年2月29日香港に着た。翌年、また再来し、日米和親条約(神奈川条約)の締結。

  • 日米和親条約…下田、箱館の開港。また、一方的最恵国待遇与え(他国に与えた特権を適用)露、英、蘭とも同じ条約締結。
  • 日米修好通商条約…1858年に締結。神奈川、箱館、新潟、兵庫、長崎の開港。不平等条約で、関税自主権がない(協定関税)、治外法権(領事裁判権)認める。蘭、露、英、仏とも同じ条約締結(安政の五カ国条約)。

このころの貿易の内容

  • 輸入…毛・綿織物、武器、艦船
  • 輸出…生糸、茶、蚕卵紙

貿易が盛んになっていくにつれて、手工業は農村家内工業→問屋制家内工業→工場制手工業と発展し、次に工場制機械工業 へと進歩していきました。

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江戸時代の文化

江戸初期の文化は日光東照宮の陽明門は、徳川家康を祀る霊廟の門である。織豊政権期の華美で豪壮な建築文化は、日光東照宮など江戸時代初期の建造物にも引き継がれるが、簡素な美しさをたたえた数寄屋造も生み出されている。その後、元禄文化、化政文化と引き継がれていく。

比較 元禄文化 化政文化
時代 江戸前半 江戸後半
場所 上方(大阪) 江戸
特徴 町人中心 庶民中心
浮世草子(小説) 井原西鶴 十返舎一九・滝沢馬琴
俳諧(俳句) 松尾芭蕉 与謝野蕪村・小林一茶
人形浄瑠璃 近松門左衛門
装飾画 尾形光琳
浮世絵 菱川師宣 鈴木晴信
風景画 葛飾北斎・歌川広重
美人画 喜多川歌麿
その他 歌舞伎 藩校、寺子屋

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