出る順(出題が高い順に)、入試に出る歴代内閣総理大臣(首相)一覧をまとめています。政策などあいまいな総理大臣は、再度復習し、確実に名前と政策を一致させておきましょう。それでは、【大学受験・日本史】入試に出る歴代内閣総理大臣(首相)一覧です。
入試に出る歴代内閣総理大臣(首相)
出る順(出題が高い順に)です。
吉田茂
- 1946年4月の戦後初の総選挙で第1党となった自由党の総裁の鳩山一郎が公職追放となったため、あとをうけて進歩党との間に連立内閣を結成した。
- 民主自由党を与党とした少数党内閣として第2次内閣を結成、その後、総選挙で絶対対数をとって第3次内閣を結成、さらに、自由党を与党として第4次、第5次内閣をつくった。
- サンフランシスコ会議首席全権として対日平和条約・日米安保条約に調印。ワンマン宰相として知られ、引退後も保守本流の元老として政界に巨大な影響力を持った。
高橋是清
- 原敬内閣が首相の暗殺で崩壊したあと、後継として組閣し、ダルマ宰相と呼ばれた。
- 田中義一内閣の蔵相として金融恐慌を鎮めたのを始めとして財政関係のエキスパートとして活躍し、犬養毅内閣では、蔵相として金解禁を停止した。
- 二・二六事件で暗殺される
犬養毅
- 大正時代に立憲国民党を率いて、第一次護憲運動を起こし活躍。また、革新倶楽部を率いて、第二次護憲運動でも活躍した。
- 1931年12月、立憲政友会を与党として内閣を組織したが、満州国を承認せず軍部の反発を受け、1932年の五・一五事件によって暗殺された。
佐藤栄作
- 1956年、日韓基本条約を締結
- 1968年、小笠原返還協定に調印し、同年に返還を実現させた。
- 戦後、首相として初めて沖縄を訪問し、1969年に佐藤・ニクソン会談によって沖縄本土復帰を決定、1971年に返還協定を経て翌1972年に返還を実現させた。
鈴木貫太郎
- 1945年5月、ソ連は日本に対して、日ソ中立条約の不延長を通告し、さらに、日本の和平斡旋依頼も拒否した。
- 1945年4月にアメリカ軍が沖縄に上陸、6月には占領を完了。8月6日には、広島に原爆投下、8月8日には、ソ連の対日宣戦、8月9日には長崎に原爆投下、8月14日にはついにポツダム宣言を受諾し、8月15日に終戦。玉音放送が行われる。
浜口雄幸
- 立憲民政党を与党として組閣。蔵相に井上準之助を起用して、金解禁を断行した。
- 1930年のロンドン海軍軍縮会議に若槻礼次郎、財部彪らを派遣して、補助艦の制限を行った。
岩槻礼次郎
- 1926年憲政会を与党とし第1次内閣をつくったが、台湾銀行救済問題で退陣。
- 立憲民政党を与党として、第2次の内閣をつくったが、満州事変を収拾できず総辞職し、犬養毅内閣とかわった。