高校日本史探究で重要な「大正時代」の要点をわかりやすくまとめました。大正デモクラシーや政党内閣の成立、関東大震災、民本主義の広がりなど、入試や定期テストで問われやすいテーマを網羅。さらに、白樺派や大正ロマンなどの文化の流れも整理しています。複雑に見える時代背景を、図解とともにすっきり理解しましょう!
大正時代の主な出来事
年 | 出来事 |
---|---|
1912年 | 大正天皇が即位、大正時代が始まる。 |
1913年 | 第一次護憲運動が起こる(桂太郎内閣退陣)。 |
1914年 | 第一次世界大戦が勃発。日本は連合国側として参戦。 |
シーメンス事件が発覚。 | |
1915年 | 二十一か条の要求を中国に提出。 |
1918年 | シベリア出兵を開始。 |
米騒動が全国で発生。 | |
原敬が日本初の本格的政党内閣を組織。 | |
1919年 | ヴェルサイユ条約が締結、日本が国際連盟の常任理事国となる。 |
1920年 | 国際連盟が発足。 |
日本で戦後恐慌が発生。 | |
1921年 | 原敬首相が暗殺される(虎ノ門事件)。 |
1923年 | 関東大震災が発生。 |
1924年 | 第二次護憲運動が起こる。 |
加藤高明が護憲三派内閣を組織。 | |
1925年 | 普通選挙法が成立(25歳以上の男子に選挙権を付与)。 |
治安維持法が成立。 | |
1926年 | 大正天皇崩御、昭和時代へ。 |
大正デモクラシー
1912-1926 民主主義運動の高まり
吉野作造の民本主義が理論的基盤となり、政党政治の発展と民主主義運動が活発化した時代です。
- 第1次護憲運動(1913年)- 桂太郎内閣打倒
- 普通選挙制度の実現(1925年)- 男性の選挙権拡大
- 治安維持法制定(1925年)- 社会主義運動の弾圧
- 政党政治の発展 – 原敬内閣(1918年)
第一次護憲運動
尾崎幸雄、犬養毅らは、「閥族打破・憲政擁護」をスローガンに第一次護憲運動を展開。第一次世界大戦直前には、シーメンス事件の発覚により、世論の批判を受けて、第一次山本権兵衛内閣が総辞職。また、軍拡予算に対して、負担の軽減を求める廃税運動も展開されていました。貿易収支の大幅な赤字も続き、国際収支は危機的な状況でありました。この第一次護憲運動後には、1913年に桂太郎内閣が辞職する大正政変もおこりました。
ドイツのシーメンス社が日本海軍高官へ賄賂を渡していたという事件
1913年2月、数万の群衆が議事堂を取り巻く中で、第3次桂内閣は50日余りで退陣。この一連の政治変革を大正政変という。
第二次護憲運動
清浦奎吾が内閣総理大臣だったとき、その内閣のメンバーが陸・海軍の大臣を除いた全員が貴族で構成され非立憲的だったため、1924年に衆議院が異議を唱えた運動。その後、護憲三派(政友会、憲政会、革新倶楽部)の三党による連立内閣が成立。総理大臣は、加藤高明。1925年に、普通選挙法、治安維持法が成立します。
共産主義の活動などを取り締まる法律。普通選挙法の制定、日ソ基本条約の調印などとともに制定された。
第一次世界大戦
1914-1918日本の参戦と国際的地位向上
日英同盟により連合国側として参戦。戦勝国となり国際的地位が向上しました。
- ドイツ権益継承 – 青島攻略、南洋群島占領
- 対華二十一カ条要求(1915年)- 中国への強硬外交
- シベリア出兵(1918-1922年)- ロシア革命への干渉
- 国際連盟常任理事国就任(1920年)
第一次世界大戦は、「ヨーロッパの火薬庫」といわれたバルカン半島にあるボスニアの首都サラエボで、オーストリア帝位後継者がセルビア人に暗殺されるサラエボ事件が起こったことをきっかけに勃発。
第一次世界大戦が起こると、国産化が困難で輸入に依存していた機械や化学製品の一部は、深刻な品不足になります。唯一、外貨を稼げるのは、製糸業であり、生糸の大部分はアメリカへ輸出。また、鉄鋼、造船、染料、肥料など重化学工業が成長し、工業は生産総額で農業を上回るようになりました。物資の供給が大不足になり、各種の物価は暴騰します。その後は、ワシントン海軍軍縮条約などで国際的に軍縮の流れになります。
二十一か条の要求
第一次世界大戦が起こると、中国からドイツ勢力を駆逐した日本は、ドイツが中国に所有していた権益の継承と懸案事項などの解決のため、1915年1月に中国の袁世凱政府に5号21項目におよび要求を出した。これを二十一か条の要求という。
➋旅順・大連の租借期限や南満州鉄道の利権の期限延長
➌南満州や内モンゴルでの日本の利権の拡大
➍日本人を政治・財政・軍事顧問として中国政府に採用すること
など、袁世凱政府は、5月9日、第5号を除きこれを受託したが、この日は国恥記念日として抗日運動の記念日とされた。
大正時代の経済の変動
1914-1920大戦景気から戦後恐慌へ
第一次世界大戦による大戦景気で経済が急成長したが、戦後は深刻な不況に陥りました。
- 大戦景気 – 輸出急増、重工業発展
- 成金の出現 – 急激な富の集中
- 戦後恐慌(1920年)- 株価暴落、企業倒産
- 米騒動(1918年)- 米価高騰による民衆暴動
大戦景気
第一次世界大戦後は、工場労働者も増え、労働組合の結成もあいつぎ、日本労働総同盟へと発展していきました。労働争議も頻発していきます。しかしながら、日本の経済不況と財政危機とを一挙に吹き飛ばし、未曾有の好景気を迎えました。このことを大戦景気といいます。
外交政治
第二次大隈重信内閣の時、中国へ二十一か条の要求により、旅順・大連の租借期限と南満州鉄道の経営権限を99か年に延長させた。第一次世界大戦大戦中、寺内正毅内閣は、アメリカと石井・ランシング協定を結び、日本の中国における特殊権益と忠告の門戸開放を確認しあった。この寺内正毅内閣では、シベリア出兵を行ったが、結果として、兵糧のために、コメの値段が上がったことが、のちの米騒動につながります。
石井・ランシング協定
日本の満州市場独占と中国進出にアメリカは不満をもつようになり、日本は特派大使石井菊次郎を送り国務長官と妥協点を探しあいました。その結果、アメリカは、中国国内の日本の特権益を、日本は、ジョン=ヘイの3原則を認める構文を交換しました。これを石井・ランシング協定といいます。これにより、アメリカはヨーロッパ戦線に全力を傾けることが可能となりました。
➊門戸開放…日本は中国独占禁止。
➋機会均等…中国貿易は今までの列強にかたよらず、どの国とも対等に貿易が可能。
➌領土保全…中国の植民地化は反対
大正時代の社会運動
第2次世界大戦前、社会主義思想の研究には国家によるきびしい制約があり、森戸辰男は研究論文が危険思想とされ処罰されました。一方で、鈴木文治が設立した友愛会は、労資協調を唄え、労働組合運動の母体となりました。東京帝国大学の思想運動団体である新人会は、社会科学の研究や啓蒙を行い、日本の社会運動に大きな影響を与えました。
全国水平社
第1次世界大戦後の1920年代前半には、差別から解放を訴えた全国水平社が設立され、部落差別の撤廃をめざしました。また、農民運動の全国組織として、日本農民連合が結成されました。
女性運動家の活躍
- 市川房江…女性解放運動の指導者で平塚らいてう(雷鳥)らと新婦人協会を結成して女性の政治参加を訴えた。1924年婦人参政権獲得期成同盟会を作り、第2次世界大戦後には、参議院議員となりました。
- 平塚らいてう(雷鳥)…「青鞜」を創刊。
- 山川菊栄…社会主義の立場からの女性解放運動を展開していき、社会主義を宣伝する赤蘭会が女性によって結成。
大正時代の社会・文化の変化
1912-1926大衆社会の形成
都市化の進展と大衆文化の発達により、近代的な社会が形成されました。
- モダンガール・モダンボーイの登場
- 大衆娯楽の発達 – 映画、ラジオ、雑誌
- 労働運動の活発化 – 友愛会、労働争議
- 女性の社会進出 – 新しい女性像の誕生
大正時代の文化人と作品
- 西田幾太郎…西洋哲学や禅などの東洋思想を融合した新たな哲学を開き、「禅の研究」を著した。
- 吉野作造…民本主義を唱えてデモクラシーの風潮に大きな影響を与えた。
- 河上肇…人道主義の立場から「貧乏物語」を著した。マルクス主義を代表する経済学者。
- 柳田国男…民間伝承を研究し、日本民俗学の基礎をすえた。
- 津田左右吉…日本古代史の研究
- 本多幸太郎…KS磁石鋼を発明
- 美濃部達吉…天皇機関説を唱える。
- 野口英世…細菌学の国際的水準の研究成果をあげる。
大正時代の作品
- 「赤い鳥」…童話と童謡が発表される。児童文学が発達していきます。
- 「その妹」…武者小路実篤
- 「白樺」…雑誌で、人道主義的作品を多く扱う。
- 「或る女」…有島武郎(白樺派の作家)。永井荷風は、耽美派。
- 「種蒔く人」…プロレタリア文学の雑誌
- 「蟹工船」…小林多喜二
- 「大菩薩峠」…中里介山
- 「伊豆の踊子」…川端康成
大正時代の教育
- 大学令…公立・私立大学の設立が認められた。
芸術では、岡倉天心らが日本画を再興し、梅原竜三郎ら洋画家が、二科会を結成と芸術分野も発展。日本放送協会が設立され、ラジオ放送をはじまるなどマスコミを発達。このころになると、鉄筋コンクリートの建物も増え始めます。サラリーマンを増えるのもこのころ。化学肥料の生産増加と普及によって食料の増産がはかられました。野球の普及もこのころ。
関東大震災と大正時代の終焉
関東大震災
1923年:未曾有の大災害
死者・行方不明者約10万5千人の大災害により、日本社会に大きな転換点をもたらしました。
- 首都圏の壊滅的被害
- 朝鮮人虐殺事件 – 流言による悲劇
- 復興事業の実施 – 帝都復興計画
- 社会不安の増大 – 治安維持体制の強化
大正時代の終焉
1926年昭和時代への移行
大正天皇崩御により昭和時代が始まり、軍国主義の風潮が強まっていきました。
- 普通選挙制実現も治安維持法で制限
- 経済不況の深刻化
- 軍部の政治的影響力拡大
- 民主主義運動の限界露呈
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