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高校日本史「覚えておきたい条約とその内容一覧」

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高校日本史「覚えておきたい条約とその内容一覧」です。年号、名称、内容は必ずセットとで覚え、そのきっかけや背景までおさえられると完璧です。正誤問題などで出題されやすいです。

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大学入試でよく出る歴史上の条約

  • ポーツマス条約【1905年】
  • パリ不戦条約【1928年】
  • ロンドン海軍軍縮条約【1930年】
  • 独ソ不可侵条約【1939年】
  • サンフランシスコ平和条約・日米安全保障条約【1951年】
  • 日韓基本条約【1965年】

ポーツマス条約

日本とロシアの間で結ばれた日露戦争の講和条約。アメリカ大統領のセオドア=ルーズベルトは、ロシアと日本の講和を斡旋し実現。内容は、北緯50°以南の樺太、満州地域の一部は、日本の支配領域に。南満州権益の独占(これによりアメリカとの関係が急速に悪化)など。

パリ不戦条約

1928年、パリ(不戦)会議で調印された条約でケロッグ・ブリアン協定ともいい、国際間の紛争を平和的に解決しようとする内容であったが、違反国に対する制裁規定はなく、実際の軍縮効果はなかった。田中義一内閣は、内田康哉を全権として派遣し条約を調印した。

ロンドン海軍軍縮条約

主要国の補助艦保有量を制限するための会議が1930(昭和5)年にロンドンで開かれた。日本の補助艦保有量は米国の7割弱に抑えられ、海軍内部は条約賛成の「条約派」と、反対する「艦隊派」が対立。

日本は1935年12月から始まった第2次会議を翌年脱退し、戦争への道を突き進むことになった。

独ソ不可侵条約

1939年8月、ドイツとソ連との間で結ばれた相互不可侵条約。付属の秘密議定書では東ヨーロッパにおける両国の勢力圏が定められ、両国はこれに従ってポーランドを分割した。1941年6月、独ソ戦の開始によって消滅。

サンフランシスコ平和条約

首相の吉田茂により、サンフランシスコ平和条約が調印された。1951年サンフランシスコ講和会議には中華人民共和国など重要な関係国は招聘されずインドやビルマも参加しなかった。日本はサンフランシスコ平和条約締結後にそれをもとにフィリピンやインドネシアがとも賠償協定を結んだ。

サンフランシスコ平和条約は単独講和であり、日本の国際連合加盟は独立回復後の1956年のことであった。1952年のメーデーでは単独講和反対のスローガンを掲げたものもあった。サンフランシスコ講和条約によって、沖縄がアメリカの統治下に置かれた。サンフランシスコ講和条約と同じ日に日米安全保障条約が調印された。

日韓基本条約

1965年6月に、日本(佐藤栄作政権)と韓国(朴正煕政権)との間で調印された条約。これにより日本は韓国を朝鮮半島の唯一の合法政府と認め、韓国との間に国交を樹立した。

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