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【高校日本史】入試でよく出る条約一覧(内容で覚えておくべきこと)

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昭和時代に結ばれた条約をまとめています。年号、名称、内容は必ずセットとで覚え、そのきっかけや背景までおさえられると完璧です。正誤問題などで出題されやすいです。それでは、【大学受験・日本史】入試によく出る「条約」のまとめをみていきましょう。

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大学入試で歴史の条約

  • パリ不戦条約
  • ロンドン海軍軍縮条約
  • 独ソ不可侵条約
  • サンフランシスコ平和条約・日米安全保障条約
  • 日米新安全保障条約
  • 日韓基本条約

パリ不戦条約

1928念、パリ(不戦)会議で調印された条約でケロッグ・ブリアン協定ともいい、国際間の紛争を平和的に解決しようとする内容であったが、違反国に対する制裁規定はなく、実際の軍縮効果はなかった。田中義一内閣は、内田康哉を全権として派遣し条約を調印した。
確認【大学受験・日本史】田中義一内閣についてのまとめ

ロンドン海軍軍縮条約

主要国の補助艦保有量を制限するための会議が1930(昭和5)年にロンドンで開かれた。日本の補助艦保有量は米国の7割弱に抑えられ、海軍内部は条約賛成の「条約派」と、反対する「艦隊派」が対立。日本は35年12月から始まった第2次会議を翌年脱退し、戦争への道を突き進むことになった。
確認【大学受験・日本史】浜口雄幸内閣についてのまとめ

独ソ不可侵条約

1939年8月、ドイツとソ連との間で結ばれた相互不可侵条約。付属の秘密議定書では東ヨーロッパにおける両国の勢力圏が定められ、両国はこれに従ってポーランドを分割した。1941年6月、独ソ戦の開始によって消滅。
確認【大学受験・日本史】平沼騏一郎内閣の政策などのまとめ

サンフランシスコ平和条約・日米安全保障条約

首相の吉田茂により、サンフランシスコ平和条約が調印された。1951年サンフランシスコ講和会議には中華人民共和国など重要な関係国は招聘されずインドやビルマも参加しなかった。日本はサンフランシスコ平和条約締結後にそれをもとにフィリピンやインドネシアがとも賠償協定を結んだ。

サンフランシスコ平和条約は単独講和であり、日本の国際連合加盟は独立回復後の1956年のことであった。1952年のメーデーでは単独講和反対のスローガンを掲げたものもあった。サンフランシスコ講和条約によって、沖縄がアメリカの統治下に置かれた。サンフランシスコ講和条約と同じ日に日米安全保障条約が調印された。
確認【大学受験・日本史】冷戦体制と日本の国際復帰までの過程

日米新安全保障条約

包括的な内容で、国連との関係もより明確化、独立国としての体裁を確保した。
確認【大学受験・日本史】岸信介内閣の政策のまとめ

日韓基本条約

1965年6月に、日本(佐藤栄作政権)と韓国(朴正煕政権)との間で調印された条約。これにより日本は韓国を朝鮮半島の唯一の合法政府と認め、韓国との間に国交を樹立した。
確認【大学受験・日本史】佐藤栄作内閣の政策のまとめ

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