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高校日本史「奈良時代のポイント」

奈良時代のポイントアイキャッチ画像 地理歴史・公民
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奈良時代について学びます。奈良時代(710年~794年)は、日本の歴史において重要な転換点となった時代です。この時期、日本は律令制度による中央集権国家としての体制を整え、平城京を中心に政治・経済・文化が大きく発展しました。仏教の隆盛や、国際的な交流を通じて生まれた天平文化の華やかさは、今なお人々を魅了します。一方で、農民に課された重い負担や、政治の権力闘争といった社会の不安定さも浮き彫りになりました。本記事では、奈良時代の特徴や重要な出来事を分かりやすく解説し、この時代の魅力と課題について探っていきます!

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奈良時代のポイント

テーマ 内容
時代区分 奈良時代(710年~794年)
平城京(710年に藤原京から遷都)
政治体制 律令国家(律令制度に基づく中央集権的な統治)
主な天皇 元明天皇、聖武天皇、孝謙天皇
土地制度 班田収授法(6歳以上の男女に口分田を支給)、墾田永年私財法(743年)
宗教 仏教の保護・拡大(国分寺建立の詔、大仏造立)
文化 天平文化(仏教と唐文化の影響を受けた華やかな文化、正倉院の宝物など)
外交 遣唐使(唐への派遣)、渤海との交流
経済 銭貨の発行(和同開珎)、農民負担の増加(租・庸・調、雑徭)
主な出来事 長屋王の変(729年)、藤原広嗣の乱(740年)、道鏡による権勢(764年)
社会構造の変化 農民の負担増による逃亡や浮浪者の増加、下層階級の不安定化
文学 『万葉集』(和歌集)、漢詩文の発展
歴史書 『日本書紀』(720年編纂)、『風土記』(地方の地誌)

奈良時代初期

仏教は国家の平安と繁栄をもたらし、人々を幸福にする力をもつとされていた。そこで、聖武天皇は仏教の鎮護国家の思想で国の平安を保とうと、国ごとに国分寺と国分尼寺を、都に総国分寺として東大寺を建て、大仏を造立した。国分寺や東大寺大仏の造立などで律令国家の財政が悪化し、たび重なる労役への動員で人々の生活は苦しくなっていった。

天武天皇

天武天皇は壬申の乱の後、畿内の有力豪族が没落したことにより相対的に権力を強め、親政を行った。天武天皇は仏教を尊重して大寺院を建立する一方、僧尼を規制し、仏教を国家統制の下に置いた。

➊飛鳥浄御原宮…天智天皇の弟が皇居を置いた。
➋八色の姓…天武天皇が新たに編成した豪族の身分秩序

大宝律令と養老律令

大宝律令は刑部親王・藤原不比等らによって編纂された。大宝律令の改定法として、養老律令が編纂された。

  • 大宝律令…文武天皇(701)
  • 養老律令…元正天皇(718)

どちらも、藤原不比等が関わっていることをおさえておきましょう。また内容のポイントは、「大宝律令は、唐の律令にならいながらも、独自の実情にあわせてつくられている」点です。ちなみに、律は、現在の刑法に相当し、令は行政法・民法に相当します。

➊律令…律令国家の行政機関、租税制度、刑罰や裁判制度が定められていた。
➋律…犯罪とそれに対する刑罰について定めた法典であり、国家や天皇に対する犯罪は、八虐という重罪の一つであった。 律令下の法は、太政官の合議・立案を経て、天皇の裁可を得て制定された。
➌令…今日の行政法や民法にあたる。

統治機構

中央官制は「二官八省一台五衛府」から成っていました。 地方官制は、五畿(大和・山城・河内・和泉・摂津)は押さえておきましょう。

班田収授法

班田収授が6年ごとだったから戸籍も6年ごとに作られたことはポイントです。そして、最もここでおさえておくべきことは、班田収授は班年(班田収授が行われる年)に6歳以上であった男女に対して行われ、次の班年を待って収公されました。すなわち、班年の時に5歳だった子供が、初めて口分田をもらえるのは、11歳の時ということです。また、班年の翌年におじいさんが死んでも、その田は次の班年まで収公されないということです。

税の種類

  • …1反あたり2束2把の稲を納める。収穫の約3%にあたる。
  • 調…地方の特産物
  • …歳役10日の代わりに布を納める。正丁なら2丈6尺である。
  • 雑徭…国司のもとでの年間60日以内の労役(のち桓武天皇の時、半減されて30日以内となる)
  • 出挙…稲の強制的貸し付け
  • 義倉…元来は飢饉対策。粟を蓄えた。

兵役

  • 衛士…都での警備にあたり任期は1年
  • 防人…九州防衛にあたり任期は3年。

政治の流れ

  • 藤原不比等…和同開珎(708)・大宝律令(701)・養老律令(718)
  • 長屋王…三世一身法(723)
  • 藤原四子…四子(南家=武智麻呂/北家=房前/式家=宇合/京家=麻呂)です。737年、遣唐使が持ち帰った天然痘で全員死亡。
  • 橘諸兄…国分寺建立の詔(741)、墾田永年私財法(743)
  • 藤原仲麻呂…大仏の開眼供養(752)
  • 道鏡…寺院以外の加墾禁止(765)
  • 藤原百川…天智天皇の孫にあたる光仁天皇を擁立

という順番で政権を担っているのは必須。

平城京

唐の都長安にならって作られた都。条坊制で区画され、中央に朱雀大路が通り、平城宮は北端に位置します。16㎞ごとに駅家が設けられた(駅制)がこれは公用のみが使用可能。

遣唐使

  • 630年…舒明天皇のとき犬上御田鍬で始まり
  • 894年…宇多天皇のとき菅原道真で終わる。

道真が遣唐使の廃止を進言した理由は、「唐の衰退」と「航海の危険」!

奈良時代中期

奈良時代中期には、国府の周辺に国分寺や国分尼寺が建立された。仏教を重んじた称徳天皇は、太政大臣禅師の地位を設けた。奈良時代には貴族は、朝廷から封戸を得るなどの特権が与えられた。

  • 道鏡…称徳天皇の支持により法王となって権力を握り、撃田開発を寺院だけの特権とするために、墾田永年私財法を停止するなどした。
  • 和気清麻呂…藤原百川らとともに、皇位に就こうとする道鏡の企 てを阻止した。

奈良時代の後期

奈良時代の後期(740年~794年)は、社会が大きく変化した時期です。

1.政治の混乱と権力争い

  • 藤原広嗣の乱(740年):地方豪族の反乱が発生し、中央政治の混乱が表面化。
  • 道鏡の台頭(764年):僧侶の道鏡が政治に関与し、大きな権力を握るも排除される(宇佐八幡神託事件)。

2.仏教のさらなる広がり

  • 聖武天皇の時代に進められた仏教の普及政策が後期にも影響。
  • 東大寺の大仏建立:仏教の力で国を安定させようとする思想(鎮護国家)。

3.社会の変化

  • 墾田永年私財法(743年)の制定:新たに開墾した土地を永遠に私有できるようにし、地方豪族や寺院が力を持つきっかけに。
  • 農民の負担が増加し、逃亡や浮浪が社会問題となる。

4.文化と文学

  • 天平文化の成熟:仏教美術や正倉院の宝物が代表例。
  • 文学では『万葉集』が編纂され、日本最古の和歌集として後世に伝えられる。

5.平安時代への移行
794年、桓武天皇が政治の安定を求め、都を平城京から平安京(京都)に移すことで奈良時代は幕を閉じる。

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