【高校日本史】奈良時代のポイント

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奈良時代について学びます。奈良時代の初めごろは皇族が政治を行い、朝廷で強い勢力をもっていた。しかし、皇族や貴族の間で権力争いがおこるようになり、聖武天皇が在位した720~740年代は凶作が続き、疫病が流行するなど社会不安が広がっていた。

大化の改新

618年に中国では唐が成立します。朝鮮半島でも、高句麗、新羅、百済の3国が、それぞれの方法で権力の集中を図っていた時代。その時代において、日本は強力な中央集権国家建設の必要にせまられていました。

➊難波宮…都を難波(大阪府)に移しました。
➋公地・公民…それまで豪族が支配した土地を人々を国家が直接支配します。
➌朝廷の組織を整え、権力の集中を目指しました。
➍日本で初めて「大化」という年号が使われました。
➎天武天皇は、天皇の地位を大幅に高め、都を再び飛鳥に都を移し、律令や歴史書の編さんを命じました。
➐天武天皇の没後、その皇后が持統天皇として即位。
➑本格的な都である藤原京をつくる。
➒律令制度を実施する準備を整える。この頃、日本という国は定められました、

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律令国家の成立

645年「乙巳の変(いつしのへん)」…中大兄皇子と中臣鎌足らが蘇我入鹿を暗殺。
646年「改新の詔」…中大兄皇子らの新政府がうちだした新しい政治の方針。
663年「白村江の戦い」…日本VS唐・新羅連合軍。日本の負け。中大兄皇子、天智天皇に即位。
670年「庚午年籍」…最初の全国的戸籍とされる。
672年「壬申の乱」…天智天皇の死後、皇子の大友皇子VS弟の大海人皇子。大海人皇子が勝利し、天武天皇となる。
690年ごろ「藤原京」建設…日本最初の本格的な都城
701年「大宝律令」制定…中国の律令を手本として作られた、本格的な刑法(律)、行政法(令)の制度。

奈良時代初期

仏教は国家の平安と繁栄をもたらし、人々を幸福にする力をもつとされていた。そこで、聖武天皇は仏教の鎮護国家の思想で国の平安を保とうと、国ごとに国分寺と国分尼寺を、都に総国分寺として東大寺を建て、大仏を造立した。国分寺や東大寺大仏の造立などで律令国家の財政が悪化し、たび重なる労役への動員で人々の生活は苦しくなっていった。

天武天皇

天武天皇は壬申の乱の後、畿内の有力豪族が没落したことにより相対的に権力を強め、親政を行った。天武天皇は仏教を尊重して大寺院を建立する一方、僧尼を規制し、仏教を国家統制の下に置いた。

➊飛鳥浄御原宮…天智天皇の弟が皇居を置いた。
➋八色の姓…天武天皇が新たに編成した豪族の身分秩序

大宝律令と養老律令

大宝律令は刑部親王・藤原不比等らによって編纂された。大宝律令の改定法として、養老律令が編纂された。

  • 大宝律令…文武天皇(701)
  • 養老律令…元正天皇(718)

どちらも、藤原不比等が関わっていることをおさえておきましょう。また内容のポイントは、「大宝律令は、唐の律令にならいながらも、独自の実情にあわせてつくられている」点です。ちなみに、律は、現在の刑法に相当し、令は行政法・民法に相当します。

➊律令…律令国家の行政機関、租税制度、刑罰や裁判制度が定められていた。
➋律…犯罪とそれに対する刑罰について定めた法典であり、国家や天皇に対する犯罪は、八虐という重罪の一つであった。 律令下の法は、太政官の合議・立案を経て、天皇の裁可を得て制定された。
➌令…今日の行政法や民法にあたる。

統治機構

中央官制は「二官八省一台五衛府」から成っていました。 地方官制は、五畿(大和・山城・河内・和泉・摂津)は押さえておきましょう。

班田収授法

班田収授が6年ごとだったから戸籍も6年ごとに作られたことはポイントです。そして、最もここでおさえておくべきことは、班田収授は班年(班田収授が行われる年)に6歳以上であった男女に対して行われ、次の班年を待って収公されました。すなわち、班年の時に5歳だった子供が、初めて口分田をもらえるのは、11歳の時ということです。また、班年の翌年におじいさんが死んでも、その田は次の班年まで収公されないということです。

税の種類

  • …1反あたり2束2把の稲を納める。収穫の約3%にあたる。
  • 調…地方の特産物
  • …歳役10日の代わりに布を納める。正丁なら2丈6尺である。
  • 雑徭…国司のもとでの年間60日以内の労役(のち桓武天皇の時、半減されて30日以内となる)
  • 出挙…稲の強制的貸し付け
  • 義倉…元来は飢饉対策。粟を蓄えた。

兵役

  • 衛士…都での警備にあたり任期は1年
  • 防人…九州防衛にあたり任期は3年。

政治の流れ

  • 藤原不比等…和同開珎(708)・大宝律令(701)・養老律令(718)
  • 長屋王…三世一身法(723)
  • 藤原四子…四子(南家=武智麻呂/北家=房前/式家=宇合/京家=麻呂)です。737年、遣唐使が持ち帰った天然痘で全員死亡。
  • 橘諸兄…国分寺建立の詔(741)、墾田永年私財法(743)
  • 藤原仲麻呂…大仏の開眼供養(752)
  • 道鏡…寺院以外の加墾禁止(765)
  • 藤原百川…天智天皇の孫にあたる光仁天皇を擁立

という順番で政権を担っているのは必須。

平城京

唐の都長安にならって作られた都。条坊制で区画され、中央に朱雀大路が通り、平城宮は北端に位置します。16㎞ごとに駅家が設けられた(駅制)がこれは公用のみが使用可能。

遣唐使

  • 630年…舒明天皇のとき犬上御田鍬で始まり
  • 894年…宇多天皇のとき菅原道真で終わる。

道真が遣唐使の廃止を進言した理由は、「唐の衰退」と「航海の危険」!

奈良時代中期

奈良時代中期には、国府の周辺に国分寺や国分尼寺が建立された。仏教を重んじた称徳天皇は、太政大臣禅師の地位を設けた。奈良時代には貴族は、朝廷から封戸を得るなどの特権が与えられた。

  • 道鏡…称徳天皇の支持により法王となって権力を握り、撃田開発を寺院だけの特権とするために、墾田永年私財法を停止するなどした。
  • 和気清麻呂…藤原百川らとともに、皇位に就こうとする道鏡の企 てを阻止した。
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