【大学受験・日本史】飛鳥時代(推古朝と飛鳥文化)

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飛鳥時代について学んでいきます。飛鳥時代のポイントは、国際的緊張の中、中央集権国家の建設を目指した時代だということです。

飛鳥時代

厩戸王(聖徳太子)は、最初の女帝である推古天皇の甥、用明天皇の第2皇子で、推古天皇の皇太子、摂政となり、蘇我馬子と協力して、中国や朝鮮に学び、大王(天皇)中心の政治を、次のような政治を行いました。

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冠位十二階の制度

家柄にとらわれず、才能や功績のある人物を役人に取り立てる制度

十七条憲法

仏教や儒学の教えを取り入れ役人の心構えを説いた憲法

<よく入試に出る部分>
一に曰く、和(やわらぎ)を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。人皆党(たむら)有り、また達(さと)れる者は少なし。或いは君父(くんぷ)に順(したがわ)ず、乍(また)隣里(りんり)に違う。然れども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。
二に曰く、篤く三宝を敬へ。三宝とは仏(ほとけ)・法(のり)・僧(ほうし)なり。則ち四生の終帰、万国の禁宗なり。はなはだ悪しきもの少なし。よく教えうるをもって従う。それ三宝に帰りまつらずば、何をもってか枉(ま)がるを直さん。
三に曰く、詔を承りては必ず謹(つつし)め、君をば天(あめ)とす、臣をば地(つち)とす。天覆い、地載せて、四の時順り行き、万気通ずるを得るなり。地天を覆わんと欲せば、則ち壊るることを致さんのみ。こころもって君言えば臣承(うけたま)わり、上行けば下靡(なび)く。故に詔を承りては必ず慎め。謹まずんばおのずから敗れん。
四に曰く、群臣百寮(まえつきみたちつかさつかさ)、礼を以て本とせよ。其れ民を治むるが本、必ず礼にあり。上礼なきときは、下斉(ととのは)ず。下礼無きときは、必ず罪有り。ここをもって群臣礼あれば位次乱れず、百姓礼あれば、国家自(おのず)から治まる。

遣隋使

小野妹子などを隋の進んだ制度や文化を問い入れるために派遣

飛鳥文化

寺院

  • 法隆寺…現存する世界最古の木造建築で、国際色豊かなエンタシスの柱が特徴。若草伽藍跡が見つかったことで、 法隆寺再建説浮上。北魏様式の夢殿救世観音像
  • 飛鳥寺…蘇我馬子の命で建てられる。日本最初の寺。北魏様式の釈迦如来像。
  • 広隆寺…南梁様式の半跏思惟像(弥勒菩薩像)

絵画・工芸

高句麗の僧である曇徴が紙、絵の具を伝え、絵画・工芸も発達。代表的なものは、法隆寺玉虫厨子や中宮寺天寿国繍帳。

その他

厩戸王(聖徳太子)が記した仏教の注釈書「三経義疏」百済の僧観である勒が暦法・天文を伝えたこともおさえておきましょう。

あわせて確認

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