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【高校日本史】室町時代のポイント

日本史記事一覧 地理歴史
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建武の新政

後醍醐天皇は天皇親政の理想のもとに、摂政・関白を廃止し 意欲的な新しい政治をめざした。1334年に年号を建武とあらためたので、この新政治を建武の新政とよぶ。しかしその体制は、中央に記録所と幕府の引付をうけついだ雑訴決断所をおき、地方に国司と守護をあわせおいたように、公武両政治を折衷したものであった。

後醍醐天皇

  • 記録所…行政、司法の天皇親裁機関
  • 雑訴決断所…訴訟事務

を整備。

建武の新政の失敗は、恩賞の不公平とも言われています。

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室町幕府

14世紀末、足利尊氏の孫義満の代になって、60年ほどつづい た南北朝の動乱はおわった。足利義満は、1392(明徳3)年に南北両朝の合体を実現させ、守護大名をおさえて幕府の全国支配を完成させた。幕府は京都の室町におかれたので、室町幕府といいます。その邸宅には名花・名木が集められ、「花の御所」といわれた。

室町幕府は諸国における守護の領国支配のうえにきずかれていたので、幕府の機構でもっとも重視されたのは、将軍をたすけ将軍と守護大名とのあいだを調整する管領である。管領は足利氏一門の細川・斯波・畠山氏の3家から選ばれ(三管領)、また侍所の長官(所司)には山名・赤松・一色・京極の諸家のな かから選ばれた(四職)

<ポイント>
3代将軍足利義満が、京都室町に「花の御所」を造営。管領を配置。足利氏一門の斯波・畠山・細川の3氏は有名。九州探題は、今川了俊(貞世)が、着任して九州の南朝勢力を平定しています。また、税金のシステムもおさえておきましょう。

<商工業者への課税>

  • 倉役(土倉役)…土倉
  • 酒屋役…酒屋

<通行税>

  • 関銭…関所
  • 津料…港の入津税

<その他>

  • 抽分銭…日明貿易における税金
  • 段銭…守護を通じて庶民にかけられた田畑の段数にかけられる税金
  • 棟別銭…家屋

下剋上

下剋上実力あるものが、力のばして上の身分の者に打ち勝って、下剋上の風潮が広がりました。

守護の領国支配がすすむと、農民たちは周辺の村々と連合して郷や組という連合組織をつくるようになり、一致団結した集団行動の一揆や 逃散といっても他村ににげこむ積極的な行動もとるようになった。そして地域的にひろいつながりをもつ土一揆という武力蜂起をおこすようになると、経済的にも地域のつながりがふかまるなかで、守護大名と実力で対抗するまで に成長していった。

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室町時代の庶民のくらし

室町時代には農業技術が進歩して、米と麦の二毛作が全国に普及し、牛馬耕やかんがい用の水車、草木灰・牛馬のふん・堆肥などの肥料の使用が広まり、収穫高が増加した。また、手工業の発達で多くの特産物が生まれた。守護大名らの保護のもとで手工業がさかんになり、大エ・鍛治・織物・紙すきなどの専門の職人が増加した。

組織・職種 内容
同業者組合
農民の自治組織
馬借 運送業
問丸 倉庫業
土倉・酒屋 金貸し・金融業

 

北条時宗

  • 8代執権
  • 元寇のときの執権
元寇とは➊文永の役(1274)…蒙古軍は、対馬・壱岐を侵して博多湾に襲来。集団戦法・てつはう(火薬)・毒矢を日本を圧倒
➋弘安の役(1281)…蒙古軍は、暴風雨で撤退

文永の役と弘安の役の間には、異国警固番役制度化したり、博多湾に石塁(防塁、石築地)を設置したり対応。元寇の様子は、肥後の御家人竹崎季長が、自分の活躍を描かせ、見事恩賞を勝ち取った『蒙古襲来絵巻』からわかる。

北条貞時

  • 9代執権
  • 霜月騒動(1285)…8代執権北条時宗の死後、有力御家人・安達泰盛と、内管領・平頼綱の対立が激化。
  • 鎮西探題の設置(1293)…西国防備と九州統治強化のため、博多に設けられた軍事・行政・裁判の処理機関
  • 永仁の徳政令(1297)…窮乏する御家人の救済策でしたが、成果は上がらず、翌年撤回。
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室町時代の終焉

  • 明徳の乱(1391)…山名氏清、山名満幸ら山名氏が室町幕府に対して起こした反乱
  • 応永の乱(1399)…守護大名の大内義弘が室町幕府に対して起こした反乱
  • 永享の乱(1438)…鎌倉公方の足利持氏と関東管領の上杉憲実の対立に端を発する、室町幕府6代将軍足利義教が持氏討伐を命じた事件
  • 嘉吉の変(乱)(1441)…播磨・備前・美作の守護赤松満祐が室町幕府6代将軍足利義教を暗殺し、領国の播磨で幕府方討伐軍に敗れて討たれるまでの一連の騒乱
  • 応仁の乱(1467)…室町幕府管領家の畠山氏、斯波氏の家督争いから、細川勝元と山名宗全の勢力争いに発展し、室町幕府8代将軍足利義政の継嗣争いも加わって、ほぼ全国で争い。<参考>細川氏(東軍)24国16万×山名氏(西軍)20国11万
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室町時代の文化

観阿弥・世阿弥親子が猿楽を能に発展させる。狂言、御伽草子、上杉氏の足利学校もこの時代です。栄西がもたらした茶を飲む習慣から茶湯も流行。御伽草子とは、一寸法師などの絵入りの物語です。室町時代には、臨済宗の有力寺院は、官寺に位置づけられ、京都・鎌倉のそれぞれに五山という格付けが行われた。鎌倉時代に武家社会に広まった臨済宗は、夢窓疎石が足利尊氏の帰依を受け、室町幕府の手厚い保護を受けた。

北山文化北山文化の時期には、如細・周文・雪舟らが墨の濃淡で自然や人物を象徴的に表現した絵画の世界を作りあげた。 応仁の乱後の時期には、絵画で、狩野正信と、その子元信が出て狩野派を確立した。
東山文化東山文化の時期には、大徳寺大仙院や竜安寺の庭園のように、石・白砂の組み合わせを主として大自然を表現した枯山水がつくられた。東求堂の同仁斎のように、床・棚・明障子・襖をもちいた書院造という建築様式ができた。
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