【高校日本史】室町時代のポイントです。室町時代(1336年~1573年)は、日本史の中でも特に興味深い時代です。この時期は、南北朝の動乱や応仁の乱といった政治的混乱が続く一方で、金閣寺や銀閣寺に代表される華やかな文化が花開いた時代でもあります。戦国時代の幕開けや、農民たちの自治運動の台頭など、社会の変化が目まぐるしい中、商業や国際貿易も活発化し、日本全体が大きな転換期を迎えました。このような多面的な動きが交錯する室町時代は、日本の歴史や文化を語る上で欠かせない要素を持っています。本記事では、この時代の重要なポイントをわかりやすく解説し、皆さんが興味を持てる視点をお届けします!
室町時代のポイント
テーマ | 内容 |
---|---|
時代区分 | 室町時代(1336年~1573年) |
幕府所在地 | 京都(室町幕府) |
主な将軍 | 足利尊氏(初代)、足利義満(3代)、足利義政(8代) |
成立 | 建武式目(1336年)で室町幕府が成立 |
南北朝の動乱 | 1336年~1392年:足利尊氏が南朝(吉野)と北朝(京都)の対立を統一(1392年、明徳の和約) |
室町文化 | 北山文化:金閣寺(足利義満)、東山文化:銀閣寺(足利義政) |
応仁の乱 | 1467年~1477年:足利義政の後継争いと守護大名の対立から発生 |
戦国時代の始まり | 応仁の乱以降、戦国大名が台頭し下克上の風潮が強まる |
経済発展 | 商業都市(京都・堺)の発展、座(商人の組合)、定期市の増加 |
外交 | 勘合貿易(明との貿易)、倭寇(海賊)の活発化 |
社会構造の変化 | 農村の自治(惣村)、一揆の頻発(徳政一揆・土一揆など) |
文化の特色 | 禅宗の影響を受けた文化(枯山水、能楽)、地方に広がる民衆文化(狂言、御伽草子) |
宗教 | 禅宗(五山・十刹)、日蓮宗の拡大、浄土真宗の広がり(蓮如による布教) |
室町幕府
14世紀末、足利尊氏の孫義満の代になって、60年ほどつづい た南北朝の動乱はおわった。足利義満は、1392(明徳3)年に南北両朝の合体を実現させ、守護大名をおさえて幕府の全国支配を完成させた。幕府は京都の室町におかれたので、室町幕府といいます。その邸宅には名花・名木が集められ、「花の御所」といわれた。
室町幕府は諸国における守護の領国支配のうえにきずかれていたので、幕府の機構でもっとも重視されたのは、将軍をたすけ将軍と守護大名とのあいだを調整する管領である。管領は足利氏一門の細川・斯波・畠山氏の3家から選ばれ(三管領)、また侍所の長官(所司)には山名・赤松・一色・京極の諸家のな かから選ばれた(四職)。
3代将軍足利義満が、京都室町に「花の御所」を造営。管領を配置。足利氏一門の斯波・畠山・細川の3氏は有名。九州探題は、今川了俊(貞世)が、着任して九州の南朝勢力を平定しています。また、税金のシステムもおさえておきましょう。
<商工業者への課税>
- 倉役(土倉役)…土倉
- 酒屋役…酒屋
<通行税>
- 関銭…関所
- 津料…港の入津税
<その他>
- 抽分銭…日明貿易における税金
- 段銭…守護を通じて庶民にかけられた田畑の段数にかけられる税金
- 棟別銭…家屋
下剋上
守護の領国支配がすすむと、農民たちは周辺の村々と連合して郷や組という連合組織をつくるようになり、一致団結した集団行動の一揆や 逃散といっても他村ににげこむ積極的な行動もとるようになった。そして地域的にひろいつながりをもつ土一揆という武力蜂起をおこすようになると、経済的にも地域のつながりがふかまるなかで、守護大名と実力で対抗するまで に成長していった。
室町時代の庶民のくらし
室町時代には農業技術が進歩して、米と麦の二毛作が全国に普及し、牛馬耕やかんがい用の水車、草木灰・牛馬のふん・堆肥などの肥料の使用が広まり、収穫高が増加した。また、手工業の発達で多くの特産物が生まれた。守護大名らの保護のもとで手工業がさかんになり、大エ・鍛治・織物・紙すきなどの専門の職人が増加した。
組織・職種 | 内容 |
---|---|
座 | 同業者組合 |
惣 | 農民の自治組織 |
馬借 | 運送業 |
問丸 | 倉庫業 |
土倉・酒屋 | 金貸し・金融業 |
北条時宗
- 8代執権
- 元寇のときの執権
➋弘安の役(1281)…蒙古軍は、暴風雨で撤退
文永の役と弘安の役の間には、異国警固番役制度化したり、博多湾に石塁(防塁、石築地)を設置したり対応。元寇の様子は、肥後の御家人竹崎季長が、自分の活躍を描かせ、見事恩賞を勝ち取った『蒙古襲来絵巻』からわかる。
北条貞時
- 9代執権
- 霜月騒動(1285)…8代執権北条時宗の死後、有力御家人・安達泰盛と、内管領・平頼綱の対立が激化。
- 鎮西探題の設置(1293)…西国防備と九州統治強化のため、博多に設けられた軍事・行政・裁判の処理機関
- 永仁の徳政令(1297)…窮乏する御家人の救済策でしたが、成果は上がらず、翌年撤回。
室町時代の終焉
- 明徳の乱(1391)…山名氏清、山名満幸ら山名氏が室町幕府に対して起こした反乱
- 応永の乱(1399)…守護大名の大内義弘が室町幕府に対して起こした反乱
- 永享の乱(1438)…鎌倉公方の足利持氏と関東管領の上杉憲実の対立に端を発する、室町幕府6代将軍足利義教が持氏討伐を命じた事件
- 嘉吉の変(乱)(1441)…播磨・備前・美作の守護赤松満祐が室町幕府6代将軍足利義教を暗殺し、領国の播磨で幕府方討伐軍に敗れて討たれるまでの一連の騒乱
- 応仁の乱(1467)…室町幕府管領家の畠山氏、斯波氏の家督争いから、細川勝元と山名宗全の勢力争いに発展し、室町幕府8代将軍足利義政の継嗣争いも加わって、ほぼ全国で争い。<参考>細川氏(東軍)24国16万×山名氏(西軍)20国11万
室町時代の文化
観阿弥・世阿弥親子が猿楽を能に発展させる。狂言、御伽草子、上杉氏の足利学校もこの時代です。栄西がもたらした茶を飲む習慣から茶湯も流行。御伽草子とは、一寸法師などの絵入りの物語です。室町時代には、臨済宗の有力寺院は、官寺に位置づけられ、京都・鎌倉のそれぞれに五山という格付けが行われた。鎌倉時代に武家社会に広まった臨済宗は、夢窓疎石が足利尊氏の帰依を受け、室町幕府の手厚い保護を受けた。
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