大学入試小論文「大人になるために身に着けるべき力の考察・解答例その1」です。
大人になるために身に着けるべき力の解答例その1
私は大人になるために身につけるべき力は責任力だと考える。
子どもは、興味や関心の赴くままに行動する。それは何が起きても自己責任だと言うことが子どもにはまだ理解できないからだ。親や社長になっても自分の立場を振り返って、何かを我慢することはできないのも、責任を十分に感じてないからだ。筆者は、今の自分は何をすべきか分かっている人が健在な大人と述べている。確かに自分の役目は分かっている人は頼れる大人だと思う。しかし、私は何をすべきか理解するだけでなく、責任は必要だと考える。なぜなら投げやりになるからだ。何をすべきか分かって、実行に移した際、もしくじけそうになっても、責任ある人は逃げ出したりは決してしない。自分の役目を理解しただけで責任が伴わなければ、途中投げ出す恐れがある。
人間は責任を持てと言われても急には持つことができない。私の周りにも責任者やリーダーになることを頑なに断る人がいる。私はそれを見てその人は面倒くさいという理由でならないのではなく、責任者になる自信がないからではないかと考える。ただ責任者にならないから、その人全く責任力のない人だと言い切れない。しかし責任者になることを拒むのが許されるのは高校生までだと思う。大学生は、大人として世間では扱われる。大学生なったらほとんど自分で決めていかなければならない。もし高校生までにたくさんの経験をし、責任力を養って生きれば大人になった時、自分にとって大きな自信となるだろう。
大人になると、全て自己責任なる。また、大人になったからできることがたくさんある。車の運転、選挙権、飲酒、喫煙。これらは全て責任が伴う。だから私は何もかも全て自分の責任で行動できる人が大人と考える。よって、大人になるために身につける力を責任力だと考える。
大人になるために身に着けるべき力の解答例その1の講評(一文抜粋)
- 責任、責任力と繰り返し使われているが、その「責任」とは、いったい何であるか、自分の考えを述べる必要があったでしょう。
- 言葉が稚拙です。 急にはなかなか持つことができない→早急に身につかない
- 何が起きても自己責任 →「何が起きても」ということは軽々には使用しないほうがいい。今回だと、自然災害やテロに巻き込まれて
- 命を絶たれても自己責任の一言で済まされるのであろうか。
全体的にもっと「責任」について掘り下げるべきだったであろう。「責任」とは何か。どうすれば責任を持ち、力をつけることができるのか。このあたりを論じるとすばらしい論文になってでしょう。まだまだうわべだけの論文だといえる。
➊【主張】責任力を身に着けるべき
➋【理由・根拠】私の考えるその責任とは、~。
➌【展開】その責任力は、~で身に着けることができる。
➍【結論】まとめ
のような感じになるでしょうか。
大人になるために身に着けるべき力の解答例その1の考察(一文抜粋)
責任とは、「なすべき務めとして、自身に引き受けなければならないもの」というのが本来の定義です。その定義を踏まえて、自分なりの解釈を含めて小論文では記述していかなければなりません。義務とは、「法律上または道徳上、人や団体がしなくてはならない、また、してはならないこと」とされるのがその定義です。
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